2014年06月11日
入院中 覚悟はしてたけど…(SLE持ち 子宮全摘手術)
おはようございます。
昨日から 重い内容ですが 今日も続きます。
今日で 今回の入院・手術に関して書くのは 一旦 終了です。
今後 何か変化があった時とか 定期健診の時などに経過報告としてだけ書いていこうと思ってます。
今日も昨日に引き続き 重苦しい話になると思いますが それでもいいよって方だけ読み進めてくださいね。
今回の入院にあたり 手術日が決まって まず旦那がCに言ったこと。
『個室 入るんやったら入ったらえぇで!』って。
今回の入院は3週間ほどの予定でした。
3週間ぐらいなら個室に入っても 生命保険もあるから 足が出ても 払えない金額じゃない。
なんせ Cは過去の入院期間が とてつもなく長く 4ヶ月間ってなことがあったからさ 個室なんて入ったら いったい 毎月いくら請求が来るんだか?
って感じだったんで 個室に入ることは断念しておりましたが 今回は 我が家的には短い期間なんで 旦那は そう言ってくれたんだと思います。 それと もう1つは…
過去 流産した時 自然に流れなかったから 入院して手術したの。
その時ね この病院だったのね。病室こそ違えど 産婦人科病棟だからね 妊婦さんはいるし 赤ちゃんもいる。赤ちゃんの鳴き声も もちろん聞こえる。
そして… やっぱ そういう所だからさ 妊婦さん7 婦人科系の病気の人3ぐらいの割合でして…
妊婦さんの中の半分の人が帝王切開の人。もう半分が まだ産むのは先だけど何かしらトラブルが出て(切迫流産とか切迫早産とか妊娠中毒症とかね)の人。今回も そうだったけど こんな割合で入院してるんですよね。
こんな言い方したら お叱りを受けるかもしれませんが 何かしらのトラブルだあるから入院してんだけど 妊娠は継続してんだから Cとは違う。 Cには そんなトラブルで入院してる人も羨む対象でした。
Cは 赤ちゃんダメになってるからね。そんな状況が Cにとっては 身体も 心も痛かった。
その時の そんなCを旦那は知ってたからね。
だから 今回 あの頃とは状況も違うし 気持ちも違うんだけど 旦那は旦那で気遣ってくれたのね。
Cがお世話になってる病院は総合病院で SLEもアレルギー科で この病院で診てもらってます。
そして妊娠した時に始めて ここの産婦人科にきて それ以降 婦人科系の病気もガン検診も ここでしてもらってます。
だからね ここが 婦人科だけじゃなく 産婦人科も一緒ってことは知ってたの。
同じ階で 出産の人も それ以外の婦人科系の病気の人も入院するってことは知ってた。
これは個室に入ったって同じこと。同じ階で同じ病棟だからね。 赤ちゃんの声は嫌でも聞こえてくるの。
それに… 部屋にこもりっきりなら 誰にも会うことないだろうけど Cのことだからさ こもりっきりってことは無いと思うしね。
Cが 今回の手術にあたり 泣く泣く子宮摘出することになってたんなら 間違いなく迷うことなく個室に入ってた。
もし 旦那が 入っていいよって言ってくれなくても勝手に個室の手配したと思う。
しかし Cは もう 赤ちゃん見たって かわいいな~って普通に思うし 妊婦さん見たって がんばれ~って思うしさ。
これはね 半年に1回 ず~っと定期的に筋腫と腺筋症の経過を診てもらう時 3つの診察室に3つの内診室。
そのうち2つの診察室が妊婦さんの診察室だったからね。
待合で いつも見てて そんな風に感じるようになってた自分に気付いてましたから。
そう思えるまで かなり時間がかかったけどね。 ここで診てもらうようになって10年。
3年前ぐらいから さほど何も思わなくなってきてたけど やっぱ それまでは 同じ空間にいるのも辛かったな。
その頃からさ 妬みとか 見るのも嫌ってのは 全くなくなってるから 個室に入るなら そのお金で退院してから 個室に入ったと思って そのお金 別のことに使わしてもらうわ~って旦那に言ったの。
旦那は おまえの好きにしたらえぇってさ。
だからね 大部屋(4人部屋)での入院でした。
それがね… 今回の入院で ビックリしたことなんですが…
まさかの妊婦さんと同室(汗)
もう1度 言いますよ! 妊婦さんと同室でした。
はじめ これって何かの間違いなんじゃね?って思った。
いくらなんでも これから手術する人と妊婦さんを同じ部屋にするか?ってね。
これってさ お互いに良くない気がしたの。
Cの場合 たまたま 子供がいないってだけでさ 同じ手術でも子供もいる人が大半で…
だから 同室なの? けど Cには子供がいなくて そんな人だっているのにな。
Cの場合は先日書いたように 数年前に子供を諦めてましたから 今回 さほど子宮を失くすってことでダメージはなかったけど 今まで 色々がんばってきて 色んなことしてきて 結果的に(年齢的とか)で断念し 手術するって人だったらさ こんな妊婦さんと同室なんてありえないと思うんですが…
Cでも ちょこっと思ったんだからさ。
それに妊婦さん側にしたって これから出産で赤ちゃんに会える嬉しい時なのに(出産は大変そうだけど) そんな病人と同室なんかより 同じ妊婦さんと同室のがいいはずだしね。
そしたらさ その妊婦さん 帝王切開だったの。
切腹よ!
だから 切腹でもさ 全然違うんだけど 大きなくくりでは同じってこと(同じなのか?)
でね 翌日に切腹だって言ってた(切腹日がCと同じ日なのよね)
4人部屋でね 1人が この妊婦さんで もう1人がCと同じ手術の人で 1人は高齢で化学療法してる人だった。
化学療法の人は ナースコールをよく押す人で だからきっとナースステーションに近い この部屋にいるんだと思う。
そして Cを含め残る3人は翌日手術組。
そっかぁ~。 術前だから 同じ部屋に とりあえずなってんだろな。
そう思ったの。
そして翌日(手術当日)
詳しくは以前 書きましたが 当日のことは ほぼ何も覚えてない。
翌日も痛すぎて ほぼ寝てたから あんまり覚えてない。
そうだったんだけどね… あの妊婦さん 同じ部屋のままじゃない。
ってか自分の目が おかしくなっちゃったのか?って思ったんだけど まさかの母子同室。
赤ちゃんが そこにいたのよ。(1日中じゃないけど 1日数時間同室の時間があるのよね)
これには もうビックリ。
こんなことって ある?
結果的に 術後2日目に この妊婦だった人は お部屋を移動したんだけどね。(同じ赤ちゃん産んだ人ばっかりの部屋へ)
この妊婦さんだった人とは お話しました。
ことは違えど切腹してるってのは同じだからね 痛いね~とか言い合ってた。
言い合ってたけど この時 Cの心の中では 痛いは同じだけど 痛みに対する想いは全然違うよね~なんて心の中で毒づいてる自分がいたよ。自分でもビックリだったんだけど やっぱりCの心の中には 子供を持つ人への羨む気持ちがあるんだと この時 思った。
でも だからって 腹立つとか そんな気持ちは まったくなくて。
その後 この方とは退院時まで 廊下で会ったら話したりして仲良くなってました。
この方のが1日早く退院だったんだけど Cも旦那さえ朝に迎えにきてくれてれば 同じ日に退院できたんで 帝王切開でも 子宮全摘でも 経過良好なら 入院日数は同じことが判明。
C自身は この程度の思いしか浮かんでこなかったんだけどね でも…
Cは 旦那や旦那の親 それに自分の親や妹が どう思うのか?ってのが気になった。
だってさ 望んで望んで できなかった赤ちゃんだもん。
色んな理由があって 諦めた命。かなり前の話だけどさ。
みんな 待ってたよ。家族みんな待ちわびてさ 3度目に妊娠した時なんて この時も やっとの思いでステロイド減量して やっと妊娠許可が下りてさ やっとこさ妊娠したからね。妊娠しても みんな 喜べなくてさ。今までの経緯があるからね。
だから 今度こそって みんな思って みんな祈るような気持ちで 妊娠の継続を願ってた。
それなのにさ… 弱い心拍しか確認できなくてさ 来週こそ 正常な心拍確認ができるはずって思って通院してさ それでも まだ弱くてさ また来週… それで確認できたらさ 周期的には母子手帳を申告にし行ける週でさ 今日こそはって思って病院行って…
そしたら心拍が消えててさ…
今だから こうして 淡々と思い出して書くことが出来るんだけどさ あの時のあの悲しみや苦しみは ハンパなかったな。 きっと今のCは乗り越えることが出来たんだと思う。 だから こうして人に話せるんだろうな。
心の闇はさ そう簡単に口に出せないよね。ホントに辛いこととかってさ 言う気になんないよね。
入院中 お見舞いは家族だけ来ても良しってことにしてた。
友人達は 遠慮してもらってた。
だから来るのは家族だけ。
その家族達がね この状況で何を想うのかって想像したら この同室になってしまってることが耐えれなくなってきたの。
目の前にさ 幸せそうな母親の顔。かわいい赤ちゃん。それを見守る その家族達。
幸せの絶頂じゃない。
なのに Cのほうは これで もう絶対に赤ちゃんはできない(その前から諦めてはいたんですがね)子宮取ったんですもんね。
同じ病室にいて 間逆なオーラを放ってたもん。
そりゃそうだわね。
Cね この時 思ったの。
まさか こんなことが待ち受けてるとはってね。
今回の入院 手術では そりゃ手術するんだから痛くて当然。
けど それは これからの為だから 心はウキウキだったの。
手術なのにウキウキって言葉 おかしかもしれないけどね それぐらい毎月の生理痛が酷かったからね。
まさか心が痛むなんて これっぽちも思ってなかったの。
どこまで試練を受けりゃ いいの?
もう さんざん 嫌な思いはしてきたはずなんだけどな。
その時 そう思ったの。
旦那の親は言葉にすら出さなかったけど きっと 複雑な心境だったと思うよ。
やっぱりさ 義理の親だからさ 言えることと言えないことがあるもんね。やっぱ遠慮ってのが あるもんね。
けど 実親は やっぱ言ったよ。
なんぼ なんでも これは ないよなってね。
まぁCだって まさかのことでビックリだったし これはないよなってのは思ったよ。
けどさ ここで泣き言 言ったら それでなくとも 手術で心配かけてんのに(持病があるせいでね) 更に心配かけちゃうからさ。
『そうやけど 部屋空いてないんちゃう? しゃぁ~ないわ。』って元気に言ってた。
ホントにC自身は大丈夫だったからね。
けど 親達が どう思うかって考えたらさ やっぱ同室は ちょっとね~って思ったからさ。
後で 母から聞いたんだけどね 妹が泣いたんだって。
『酷すぎる。なんで妊婦と赤ちゃんと同じ部屋なん?なんぼなんでも酷すぎる』ってね。
それ聞いて Cも泣いちゃった。
妹の想いがね。
妹は いつも言ってんの。
なんで お姉ちゃんばっかりこんなんならなあかんの?ってね。
でね Cが腎臓 悪くしちゃったからさ この先 もしかしたら うまく腎機能が動かなくなっちゃったらさ 腎臓って移植できんのよね。
妹がさ もし そんなことになったら 私の腎臓あげるからって言うのよね。
泣けてくるでしょ?
実際に そうなったら どうするか わかんないけどさ でも今もしCが そんな状況になったらさ 妹から腎臓はもらわないと思う。
ってかさ 貰えないよ。
だってさ 妹は Cの妹だけど もう姪っ子や甥っ子の母親でもあるし旦那さんもいるしね。
妹に Cのせいで もしものことがあったら Cは悔やんでも悔やみきれないからさ。
まぁ そんな状況には自分は ならないと思ってますがね。
それからね これも ずっと前の話なんだけど こんな病気になっちゃって(SLE) そして子供も持てない人生が決定した時ね なんで そんな話になったのか忘れたんだけど 両親と叔母(1人もんだから)が死んだら もうCは いつ死んでもえぇわ。やっぱり逆になるのは あかんけど それさえ守ったら もう えぇわって そんなこと言ったことが あったのね。
もちろん その時 ぼすおがいましたが どう考えても 親より先に ぼすおが長生きしたとしても寿命でお空へ行っちゃうはずでしたからね。
そしたらさ 妹が声色変えて怒ったの。
『お姉ちゃんは それで いいかもしれんけど 私は どうなるん? お父さんもお母さんもH姉ちゃんも(叔母のこと)も死んで お姉ちゃんまで おらんよ~になったら 私1人になるやん。 そんなん もう絶対に言わんといて。 お姉ちゃんには生きといてもらわな私が困るねん』って。
妹には2人子供がいますが 子供は子供の人生があるって考えなんで 私1人ってことになったんだと思う(血のつながりって意味でね)
もちろん 妹には 優しくて Cなんて羨ましい限りの旦那さまがいますがね。
はっ!っとした。
結局 Cってば 自分のことしか考えてないのよね。
そうだった。たった2人の姉妹なんだもん。 もし妹がCと同じこと言ったら どう思う?
そうだよね。怒るよね。
最後は涙声になって『頼むから お姉ちゃん そんなこと言わんといて』って言ってた。
そう言われて 思ったんだよね。
そっか。生きてるってだけで 誰かの為になってることも あるんだなって。
CってばSLE発病して どっかで 自分は やっかい者だって思ってたんんだよね。
誰かに心配かけて 誰かに迷惑かけてでなきゃ生きていけない自分が すっごく嫌だったんだよね。
今を生きるって言いながら ふいに この先 どうなっちゃうんだろ?って急に不安になることがある。
SLEは みんな それぞれ。 みんな病状が違う。 一生 軽く済む人もいる。
悪化しちゃう人もいる。 内臓やられちゃったり 骨や筋肉やられちゃったりね。
今 何もなくとも この先 そうなる可能性ってのが あるからね。 ならない可能性もあるのにね そんな時 悪いようにしか考えないんだよね。 バカでしょ?
うちの姉妹 まるっきり姉 妹が逆転しております(汗)
とっても頼りになる妹です。
昔はさ(ホント ちっちゃい頃ね) Cの後ろから いつも 付いてきて もしくは Cが妹の手をひいて いつもCが面倒みてた。
小さい頃 妹は泣き虫だった。
いじわるして わざと泣かせてた時もあったな~(酷い姉のC)
だからさ いつまでたっても Cにとっては なんだか頼りない妹ってイメージが強いんだけどね実際は Cなんかより ずっと強くて ずっと頼りになる子なんですよね。 30を過ぎた頃から つくずく そう思います。
もう今では 大逆転されちゃって どっちが姉なんだか わかんないんですよ~(笑)
って話がそれましたが そんな感じで まさかの妊婦さんと赤ちゃんの同室。
その後 その方が部屋移動して 3日間は 術後の方1人と 化学療法の方1人とCの3人でした。
その後 Cが部屋移動があって 移動した。
Cと もう1人 先にいた方も 術後の方でした。
そしたら その日の夕方 またしても妊婦さんが やってきて…
もう1人も やってきて 部屋の中は 術後2人に 妊婦2人。
で… 術後の方が その後 訳あって部屋移動しちゃってね 退院する日と その前日は まさかの C以外 みんな妊婦って部屋でした。
どうやら 1人は切迫流産で入院で もう1人は切迫早産のようでした。2人共 安静にしてなきゃなんなかったみたいで どこに移動するにも車椅子でした(看護師さんに押してもらってね)
妊婦さんだけど その命を繋ぐために入院してるんだよね。
だからね 妊婦ってくくりでは同じだったけど 先に同室だった方の時とは また違った感じでした。
お見舞いの人たちもね 当たり前だけど心配してる感じでしたしね。
しかし妊婦は妊婦。 Cとは全然 違うもんね。
おかげでね もう どんなことでも ど~んと来いって感じになれたよ。
また 鍛えられたわよ! 心がね。
結局のところ 何が言いたかったのかと申しますと…
SLE発症した方の中には Cと同じような経過をたどってってる方が いると思います。
望んでたけど 子供を持つことが出来なかったって方。
SLEじゃなくとも 子供いないのに こんな手術をしなきゃなんなくなった方。
そして 子供がいたって 自分は病気で入院なのに 妊婦さんと同室なんて嫌だわって方。
そんな方が もし手術ってことになった時 今回 Cが経験してしまったビックリな出来事の数々ってのを未然に防ぐため その病院は婦人科と産婦人科が 分かれてますか?ってことの確認して下さい。
同じなら こういったことに なってしまうかもしれません。
少し お金は かかるけど そんな病院なら最初から個室に入ったほうが良いかもしれません。
もしくは… 手術は婦人科と産婦人科が別になってる病院での手術を おすすめします。
Cの主治医の先生は Cの心を暖かくしてくれる言葉をくれたのにね 入院で こんな仕打ちを受けるとは。
あくまでも入院ってのは病棟の看護師長さんが決めること。
病状や その他 色々なことを考えて 部屋の割り振りするんだろうけど 細やかな配慮ってのは期待しちゃダメってことね。
うちの病院が たまたま そんな配慮のできない(しない)病院なのかもしれないけどさ。
覚悟はしてたよ。
隣の病室が妊婦さんの部屋って可能性はあるだろなって。
けど まさか同室になるだなんて 想像を絶することでした。
いちいち この人は子供がいるとか いないとかって そこまでの配慮してられないのかな?
家族構成を入院時に書いて提出するんだけどな。
デリケートなことなんだからさ そんなデリケートな問題を抱えた人が来る科なんだからさ そのぐらいの配慮を してもらえなかったってのは残念でしたね。
途中からは 妊婦さんと同室になるなんてこと もう先にも後にも きっと無いだろうからさ 最初はビックリしたし 家族は どう思うんだろって考えた時 ちょっと苦しくなったけど 結果的に良い経験できたな~って思う。
妊婦さん同士の会話にこそ 出産経験がないから何言ってんのか わかんなかったから入ること出来なかったけどさ 聞いてるだけで 疑似体験ってか もし 自分も その立場だったらさ こんな話を同室の人としてたのかな? なんて思ったりね。
Cってば いつの頃からか 基本 何事も良いように考えるようになってんのよね~。
そりゃ Cだって 何を どう あがいても 悪い方向へ考えて どつぼに はまることも たま~にあるけどね。
悪いように考えたら底なしだからさ。
そして ドス黒い ドロドロした想いばっかり沸いてきてさ どんどん自分が嫌になるからさ。
なかなか難しいけどね 何事も良いように ピンチはチャンスと思えるようになったら すっごく楽よ~!
旦那がいつも 言ってます。
『お前って 何でも えぇ~ようにしか考えへんねんな。羨ましいわ。』ってね。
『お前って気楽で能天気で えぇなぁ~』ってのも いつも言ってるな。
羨ましいやろ~。あんんたも そんな風に なったら えぇねんって いつも旦那に そう言われたら 言い返してます。
けどね こう思うってか思えるようになる為に どんだけ泣いたか。どんだけ苦しんだか。
だからさ これから先は お気楽で生きてくのよ~!!
自分の人生 楽しまなきゃ損!!
自分が経験できなかったことは やっぱ出来たらよかったのにな~とは思うけど 経験できた人の先の苦労も知らなくて済むしね。
それに 経験できた人にできないことをCはできるんだしさ。
いても いなくても どっちもどっち。
欲張って 何もかもを得れる人なんていないはずだからね。
どんな人にも何かの欲はあるはず。 叶えること得ることが どうしても出来ない欲がね。
強がりに聞こえちゃうかもしれないけどさ。
今は そう思っています。 そう思うことで自分を納得させてます。
そして そう思えば 楽だからね。
人ってさ 悩みや迷いは尽きないものね。
悲しみ 苦しみも 次々にやってくる。
結婚してる人 してない人
子供がいる人 いない人 みんな それぞれに それぞれの苦悩があるもんね。
それぞれの苦悩は 同じ立場にある人にしか ホントのとこは わかんない。
同じ立場でも 悩みどころは違うしね。
けどさ どんな人にも 楽しいことだって あるはずだから。
その立場だからこその楽しみ方や幸せがね。
女40(実年齢は今年42になるんだけど) まだまだ これから。
いろんなこと楽しまなくっちゃ!
最後までお付き合いしてくださった方 長々重苦しい話にお付き合いくださいまして どうもありがとです。
これにて おしま~い!!
今日も訪問ありがとです。
昨日から 重い内容ですが 今日も続きます。
今日で 今回の入院・手術に関して書くのは 一旦 終了です。
今後 何か変化があった時とか 定期健診の時などに経過報告としてだけ書いていこうと思ってます。
今日も昨日に引き続き 重苦しい話になると思いますが それでもいいよって方だけ読み進めてくださいね。
今回の入院にあたり 手術日が決まって まず旦那がCに言ったこと。
『個室 入るんやったら入ったらえぇで!』って。
今回の入院は3週間ほどの予定でした。
3週間ぐらいなら個室に入っても 生命保険もあるから 足が出ても 払えない金額じゃない。
なんせ Cは過去の入院期間が とてつもなく長く 4ヶ月間ってなことがあったからさ 個室なんて入ったら いったい 毎月いくら請求が来るんだか?
って感じだったんで 個室に入ることは断念しておりましたが 今回は 我が家的には短い期間なんで 旦那は そう言ってくれたんだと思います。 それと もう1つは…
過去 流産した時 自然に流れなかったから 入院して手術したの。
その時ね この病院だったのね。病室こそ違えど 産婦人科病棟だからね 妊婦さんはいるし 赤ちゃんもいる。赤ちゃんの鳴き声も もちろん聞こえる。
そして… やっぱ そういう所だからさ 妊婦さん7 婦人科系の病気の人3ぐらいの割合でして…
妊婦さんの中の半分の人が帝王切開の人。もう半分が まだ産むのは先だけど何かしらトラブルが出て(切迫流産とか切迫早産とか妊娠中毒症とかね)の人。今回も そうだったけど こんな割合で入院してるんですよね。
こんな言い方したら お叱りを受けるかもしれませんが 何かしらのトラブルだあるから入院してんだけど 妊娠は継続してんだから Cとは違う。 Cには そんなトラブルで入院してる人も羨む対象でした。
Cは 赤ちゃんダメになってるからね。そんな状況が Cにとっては 身体も 心も痛かった。
その時の そんなCを旦那は知ってたからね。
だから 今回 あの頃とは状況も違うし 気持ちも違うんだけど 旦那は旦那で気遣ってくれたのね。
Cがお世話になってる病院は総合病院で SLEもアレルギー科で この病院で診てもらってます。
そして妊娠した時に始めて ここの産婦人科にきて それ以降 婦人科系の病気もガン検診も ここでしてもらってます。
だからね ここが 婦人科だけじゃなく 産婦人科も一緒ってことは知ってたの。
同じ階で 出産の人も それ以外の婦人科系の病気の人も入院するってことは知ってた。
これは個室に入ったって同じこと。同じ階で同じ病棟だからね。 赤ちゃんの声は嫌でも聞こえてくるの。
それに… 部屋にこもりっきりなら 誰にも会うことないだろうけど Cのことだからさ こもりっきりってことは無いと思うしね。
Cが 今回の手術にあたり 泣く泣く子宮摘出することになってたんなら 間違いなく迷うことなく個室に入ってた。
もし 旦那が 入っていいよって言ってくれなくても勝手に個室の手配したと思う。
しかし Cは もう 赤ちゃん見たって かわいいな~って普通に思うし 妊婦さん見たって がんばれ~って思うしさ。
これはね 半年に1回 ず~っと定期的に筋腫と腺筋症の経過を診てもらう時 3つの診察室に3つの内診室。
そのうち2つの診察室が妊婦さんの診察室だったからね。
待合で いつも見てて そんな風に感じるようになってた自分に気付いてましたから。
そう思えるまで かなり時間がかかったけどね。 ここで診てもらうようになって10年。
3年前ぐらいから さほど何も思わなくなってきてたけど やっぱ それまでは 同じ空間にいるのも辛かったな。
その頃からさ 妬みとか 見るのも嫌ってのは 全くなくなってるから 個室に入るなら そのお金で退院してから 個室に入ったと思って そのお金 別のことに使わしてもらうわ~って旦那に言ったの。
旦那は おまえの好きにしたらえぇってさ。
だからね 大部屋(4人部屋)での入院でした。
それがね… 今回の入院で ビックリしたことなんですが…
まさかの妊婦さんと同室(汗)
もう1度 言いますよ! 妊婦さんと同室でした。
はじめ これって何かの間違いなんじゃね?って思った。
いくらなんでも これから手術する人と妊婦さんを同じ部屋にするか?ってね。
これってさ お互いに良くない気がしたの。
Cの場合 たまたま 子供がいないってだけでさ 同じ手術でも子供もいる人が大半で…
だから 同室なの? けど Cには子供がいなくて そんな人だっているのにな。
Cの場合は先日書いたように 数年前に子供を諦めてましたから 今回 さほど子宮を失くすってことでダメージはなかったけど 今まで 色々がんばってきて 色んなことしてきて 結果的に(年齢的とか)で断念し 手術するって人だったらさ こんな妊婦さんと同室なんてありえないと思うんですが…
Cでも ちょこっと思ったんだからさ。
それに妊婦さん側にしたって これから出産で赤ちゃんに会える嬉しい時なのに(出産は大変そうだけど) そんな病人と同室なんかより 同じ妊婦さんと同室のがいいはずだしね。
そしたらさ その妊婦さん 帝王切開だったの。
切腹よ!
だから 切腹でもさ 全然違うんだけど 大きなくくりでは同じってこと(同じなのか?)
でね 翌日に切腹だって言ってた(切腹日がCと同じ日なのよね)
4人部屋でね 1人が この妊婦さんで もう1人がCと同じ手術の人で 1人は高齢で化学療法してる人だった。
化学療法の人は ナースコールをよく押す人で だからきっとナースステーションに近い この部屋にいるんだと思う。
そして Cを含め残る3人は翌日手術組。
そっかぁ~。 術前だから 同じ部屋に とりあえずなってんだろな。
そう思ったの。
そして翌日(手術当日)
詳しくは以前 書きましたが 当日のことは ほぼ何も覚えてない。
翌日も痛すぎて ほぼ寝てたから あんまり覚えてない。
そうだったんだけどね… あの妊婦さん 同じ部屋のままじゃない。
ってか自分の目が おかしくなっちゃったのか?って思ったんだけど まさかの母子同室。
赤ちゃんが そこにいたのよ。(1日中じゃないけど 1日数時間同室の時間があるのよね)
これには もうビックリ。
こんなことって ある?
結果的に 術後2日目に この妊婦だった人は お部屋を移動したんだけどね。(同じ赤ちゃん産んだ人ばっかりの部屋へ)
この妊婦さんだった人とは お話しました。
ことは違えど切腹してるってのは同じだからね 痛いね~とか言い合ってた。
言い合ってたけど この時 Cの心の中では 痛いは同じだけど 痛みに対する想いは全然違うよね~なんて心の中で毒づいてる自分がいたよ。自分でもビックリだったんだけど やっぱりCの心の中には 子供を持つ人への羨む気持ちがあるんだと この時 思った。
でも だからって 腹立つとか そんな気持ちは まったくなくて。
その後 この方とは退院時まで 廊下で会ったら話したりして仲良くなってました。
この方のが1日早く退院だったんだけど Cも旦那さえ朝に迎えにきてくれてれば 同じ日に退院できたんで 帝王切開でも 子宮全摘でも 経過良好なら 入院日数は同じことが判明。
C自身は この程度の思いしか浮かんでこなかったんだけどね でも…
Cは 旦那や旦那の親 それに自分の親や妹が どう思うのか?ってのが気になった。
だってさ 望んで望んで できなかった赤ちゃんだもん。
色んな理由があって 諦めた命。かなり前の話だけどさ。
みんな 待ってたよ。家族みんな待ちわびてさ 3度目に妊娠した時なんて この時も やっとの思いでステロイド減量して やっと妊娠許可が下りてさ やっとこさ妊娠したからね。妊娠しても みんな 喜べなくてさ。今までの経緯があるからね。
だから 今度こそって みんな思って みんな祈るような気持ちで 妊娠の継続を願ってた。
それなのにさ… 弱い心拍しか確認できなくてさ 来週こそ 正常な心拍確認ができるはずって思って通院してさ それでも まだ弱くてさ また来週… それで確認できたらさ 周期的には母子手帳を申告にし行ける週でさ 今日こそはって思って病院行って…
そしたら心拍が消えててさ…
今だから こうして 淡々と思い出して書くことが出来るんだけどさ あの時のあの悲しみや苦しみは ハンパなかったな。 きっと今のCは乗り越えることが出来たんだと思う。 だから こうして人に話せるんだろうな。
心の闇はさ そう簡単に口に出せないよね。ホントに辛いこととかってさ 言う気になんないよね。
入院中 お見舞いは家族だけ来ても良しってことにしてた。
友人達は 遠慮してもらってた。
だから来るのは家族だけ。
その家族達がね この状況で何を想うのかって想像したら この同室になってしまってることが耐えれなくなってきたの。
目の前にさ 幸せそうな母親の顔。かわいい赤ちゃん。それを見守る その家族達。
幸せの絶頂じゃない。
なのに Cのほうは これで もう絶対に赤ちゃんはできない(その前から諦めてはいたんですがね)子宮取ったんですもんね。
同じ病室にいて 間逆なオーラを放ってたもん。
そりゃそうだわね。
Cね この時 思ったの。
まさか こんなことが待ち受けてるとはってね。
今回の入院 手術では そりゃ手術するんだから痛くて当然。
けど それは これからの為だから 心はウキウキだったの。
手術なのにウキウキって言葉 おかしかもしれないけどね それぐらい毎月の生理痛が酷かったからね。
まさか心が痛むなんて これっぽちも思ってなかったの。
どこまで試練を受けりゃ いいの?
もう さんざん 嫌な思いはしてきたはずなんだけどな。
その時 そう思ったの。
旦那の親は言葉にすら出さなかったけど きっと 複雑な心境だったと思うよ。
やっぱりさ 義理の親だからさ 言えることと言えないことがあるもんね。やっぱ遠慮ってのが あるもんね。
けど 実親は やっぱ言ったよ。
なんぼ なんでも これは ないよなってね。
まぁCだって まさかのことでビックリだったし これはないよなってのは思ったよ。
けどさ ここで泣き言 言ったら それでなくとも 手術で心配かけてんのに(持病があるせいでね) 更に心配かけちゃうからさ。
『そうやけど 部屋空いてないんちゃう? しゃぁ~ないわ。』って元気に言ってた。
ホントにC自身は大丈夫だったからね。
けど 親達が どう思うかって考えたらさ やっぱ同室は ちょっとね~って思ったからさ。
後で 母から聞いたんだけどね 妹が泣いたんだって。
『酷すぎる。なんで妊婦と赤ちゃんと同じ部屋なん?なんぼなんでも酷すぎる』ってね。
それ聞いて Cも泣いちゃった。
妹の想いがね。
妹は いつも言ってんの。
なんで お姉ちゃんばっかりこんなんならなあかんの?ってね。
でね Cが腎臓 悪くしちゃったからさ この先 もしかしたら うまく腎機能が動かなくなっちゃったらさ 腎臓って移植できんのよね。
妹がさ もし そんなことになったら 私の腎臓あげるからって言うのよね。
泣けてくるでしょ?
実際に そうなったら どうするか わかんないけどさ でも今もしCが そんな状況になったらさ 妹から腎臓はもらわないと思う。
ってかさ 貰えないよ。
だってさ 妹は Cの妹だけど もう姪っ子や甥っ子の母親でもあるし旦那さんもいるしね。
妹に Cのせいで もしものことがあったら Cは悔やんでも悔やみきれないからさ。
まぁ そんな状況には自分は ならないと思ってますがね。
それからね これも ずっと前の話なんだけど こんな病気になっちゃって(SLE) そして子供も持てない人生が決定した時ね なんで そんな話になったのか忘れたんだけど 両親と叔母(1人もんだから)が死んだら もうCは いつ死んでもえぇわ。やっぱり逆になるのは あかんけど それさえ守ったら もう えぇわって そんなこと言ったことが あったのね。
もちろん その時 ぼすおがいましたが どう考えても 親より先に ぼすおが長生きしたとしても寿命でお空へ行っちゃうはずでしたからね。
そしたらさ 妹が声色変えて怒ったの。
『お姉ちゃんは それで いいかもしれんけど 私は どうなるん? お父さんもお母さんもH姉ちゃんも(叔母のこと)も死んで お姉ちゃんまで おらんよ~になったら 私1人になるやん。 そんなん もう絶対に言わんといて。 お姉ちゃんには生きといてもらわな私が困るねん』って。
妹には2人子供がいますが 子供は子供の人生があるって考えなんで 私1人ってことになったんだと思う(血のつながりって意味でね)
もちろん 妹には 優しくて Cなんて羨ましい限りの旦那さまがいますがね。
はっ!っとした。
結局 Cってば 自分のことしか考えてないのよね。
そうだった。たった2人の姉妹なんだもん。 もし妹がCと同じこと言ったら どう思う?
そうだよね。怒るよね。
最後は涙声になって『頼むから お姉ちゃん そんなこと言わんといて』って言ってた。
そう言われて 思ったんだよね。
そっか。生きてるってだけで 誰かの為になってることも あるんだなって。
CってばSLE発病して どっかで 自分は やっかい者だって思ってたんんだよね。
誰かに心配かけて 誰かに迷惑かけてでなきゃ生きていけない自分が すっごく嫌だったんだよね。
今を生きるって言いながら ふいに この先 どうなっちゃうんだろ?って急に不安になることがある。
SLEは みんな それぞれ。 みんな病状が違う。 一生 軽く済む人もいる。
悪化しちゃう人もいる。 内臓やられちゃったり 骨や筋肉やられちゃったりね。
今 何もなくとも この先 そうなる可能性ってのが あるからね。 ならない可能性もあるのにね そんな時 悪いようにしか考えないんだよね。 バカでしょ?
うちの姉妹 まるっきり姉 妹が逆転しております(汗)
とっても頼りになる妹です。
昔はさ(ホント ちっちゃい頃ね) Cの後ろから いつも 付いてきて もしくは Cが妹の手をひいて いつもCが面倒みてた。
小さい頃 妹は泣き虫だった。
いじわるして わざと泣かせてた時もあったな~(酷い姉のC)
だからさ いつまでたっても Cにとっては なんだか頼りない妹ってイメージが強いんだけどね実際は Cなんかより ずっと強くて ずっと頼りになる子なんですよね。 30を過ぎた頃から つくずく そう思います。
もう今では 大逆転されちゃって どっちが姉なんだか わかんないんですよ~(笑)
って話がそれましたが そんな感じで まさかの妊婦さんと赤ちゃんの同室。
その後 その方が部屋移動して 3日間は 術後の方1人と 化学療法の方1人とCの3人でした。
その後 Cが部屋移動があって 移動した。
Cと もう1人 先にいた方も 術後の方でした。
そしたら その日の夕方 またしても妊婦さんが やってきて…
もう1人も やってきて 部屋の中は 術後2人に 妊婦2人。
で… 術後の方が その後 訳あって部屋移動しちゃってね 退院する日と その前日は まさかの C以外 みんな妊婦って部屋でした。
どうやら 1人は切迫流産で入院で もう1人は切迫早産のようでした。2人共 安静にしてなきゃなんなかったみたいで どこに移動するにも車椅子でした(看護師さんに押してもらってね)
妊婦さんだけど その命を繋ぐために入院してるんだよね。
だからね 妊婦ってくくりでは同じだったけど 先に同室だった方の時とは また違った感じでした。
お見舞いの人たちもね 当たり前だけど心配してる感じでしたしね。
しかし妊婦は妊婦。 Cとは全然 違うもんね。
おかげでね もう どんなことでも ど~んと来いって感じになれたよ。
また 鍛えられたわよ! 心がね。
結局のところ 何が言いたかったのかと申しますと…
SLE発症した方の中には Cと同じような経過をたどってってる方が いると思います。
望んでたけど 子供を持つことが出来なかったって方。
SLEじゃなくとも 子供いないのに こんな手術をしなきゃなんなくなった方。
そして 子供がいたって 自分は病気で入院なのに 妊婦さんと同室なんて嫌だわって方。
そんな方が もし手術ってことになった時 今回 Cが経験してしまったビックリな出来事の数々ってのを未然に防ぐため その病院は婦人科と産婦人科が 分かれてますか?ってことの確認して下さい。
同じなら こういったことに なってしまうかもしれません。
少し お金は かかるけど そんな病院なら最初から個室に入ったほうが良いかもしれません。
もしくは… 手術は婦人科と産婦人科が別になってる病院での手術を おすすめします。
Cの主治医の先生は Cの心を暖かくしてくれる言葉をくれたのにね 入院で こんな仕打ちを受けるとは。
あくまでも入院ってのは病棟の看護師長さんが決めること。
病状や その他 色々なことを考えて 部屋の割り振りするんだろうけど 細やかな配慮ってのは期待しちゃダメってことね。
うちの病院が たまたま そんな配慮のできない(しない)病院なのかもしれないけどさ。
覚悟はしてたよ。
隣の病室が妊婦さんの部屋って可能性はあるだろなって。
けど まさか同室になるだなんて 想像を絶することでした。
いちいち この人は子供がいるとか いないとかって そこまでの配慮してられないのかな?
家族構成を入院時に書いて提出するんだけどな。
デリケートなことなんだからさ そんなデリケートな問題を抱えた人が来る科なんだからさ そのぐらいの配慮を してもらえなかったってのは残念でしたね。
途中からは 妊婦さんと同室になるなんてこと もう先にも後にも きっと無いだろうからさ 最初はビックリしたし 家族は どう思うんだろって考えた時 ちょっと苦しくなったけど 結果的に良い経験できたな~って思う。
妊婦さん同士の会話にこそ 出産経験がないから何言ってんのか わかんなかったから入ること出来なかったけどさ 聞いてるだけで 疑似体験ってか もし 自分も その立場だったらさ こんな話を同室の人としてたのかな? なんて思ったりね。
Cってば いつの頃からか 基本 何事も良いように考えるようになってんのよね~。
そりゃ Cだって 何を どう あがいても 悪い方向へ考えて どつぼに はまることも たま~にあるけどね。
悪いように考えたら底なしだからさ。
そして ドス黒い ドロドロした想いばっかり沸いてきてさ どんどん自分が嫌になるからさ。
なかなか難しいけどね 何事も良いように ピンチはチャンスと思えるようになったら すっごく楽よ~!
旦那がいつも 言ってます。
『お前って 何でも えぇ~ようにしか考えへんねんな。羨ましいわ。』ってね。
『お前って気楽で能天気で えぇなぁ~』ってのも いつも言ってるな。
羨ましいやろ~。あんんたも そんな風に なったら えぇねんって いつも旦那に そう言われたら 言い返してます。
けどね こう思うってか思えるようになる為に どんだけ泣いたか。どんだけ苦しんだか。
だからさ これから先は お気楽で生きてくのよ~!!
自分の人生 楽しまなきゃ損!!
自分が経験できなかったことは やっぱ出来たらよかったのにな~とは思うけど 経験できた人の先の苦労も知らなくて済むしね。
それに 経験できた人にできないことをCはできるんだしさ。
いても いなくても どっちもどっち。
欲張って 何もかもを得れる人なんていないはずだからね。
どんな人にも何かの欲はあるはず。 叶えること得ることが どうしても出来ない欲がね。
強がりに聞こえちゃうかもしれないけどさ。
今は そう思っています。 そう思うことで自分を納得させてます。
そして そう思えば 楽だからね。
人ってさ 悩みや迷いは尽きないものね。
悲しみ 苦しみも 次々にやってくる。
結婚してる人 してない人
子供がいる人 いない人 みんな それぞれに それぞれの苦悩があるもんね。
それぞれの苦悩は 同じ立場にある人にしか ホントのとこは わかんない。
同じ立場でも 悩みどころは違うしね。
けどさ どんな人にも 楽しいことだって あるはずだから。
その立場だからこその楽しみ方や幸せがね。
女40(実年齢は今年42になるんだけど) まだまだ これから。
いろんなこと楽しまなくっちゃ!
最後までお付き合いしてくださった方 長々重苦しい話にお付き合いくださいまして どうもありがとです。
これにて おしま~い!!
今日も訪問ありがとです。
2014年06月10日
入院13日目☆祝退院! 色んな気持ち(SLE持ち 子宮全摘手術)
おはようございます!
さてさて。入院12日目(術後10日目)
待ちに待った退院日。
思いがけず 早く退院できることになり 朝からウキウキ。
前夜 嬉しさのあまり なかなか寝付けなかったくせに 朝も早起き(笑)
この日は 朝から看護師さんが来ましたが いつものチェックも何もなし。
『今日 退院ですもんね~。おめでとうございます』って言葉をいただき終了。
その後 朝ごはんを食べ 10時半にお迎えに来てもらって 祝 退院!
まず 旦那の実家へ立ち寄って(病院から車で2分ほどの場所なんで) 退院しましたの報告。
そしたら 退院祝いって言って お肉や何やらかんやら大量に買ってくれてて 頂いてきました。
(前日にね退院したら何 食べたいって義母さんが聞いてくれたから迷わず 肉って答えたC 笑)
10分ほど話て その後 家に帰ってからの服が無いことに気付き(お腹に傷をガードする腹帯してるので ウエスト周りが ゆったりしたパンツや ゆったりしたワンピースなどが必要なんだけど そんな服が無い)帰り道にユニクロがあるから寄って 4着ほど購入。
その後 スーパーへ行って アレコレ買う予定だったけど なんだか すっごい疲れてきて ちょこっと買い物して終了。
たった2週間の入院なのに体力がガタ落ちしてることに この時 気付いた。
こうして12日間の入院生活は 終わりました。
今回の子宮全摘出手術ですが…
手術前 そして入院中の気持ちってか心の葛藤などを少し(長くなるかも?)
楽しい話じゃないんで こんな話が嫌いな方は今日はスルー願います。
女性にとって やっぱりね 子宮って他の臓器より特別な想いがあると思います。
別に どんな臓器も同じだよって方もいらっしゃるかも。
けど 多くの女性は 子宮を失くすってことに 抵抗があると思います。
『女は子宮で物事を考える』って言葉もあるぐらいですからね。
女性にとって子宮って何?
赤ちゃんを宿し成長させる場所。 そうです。そうなんです。
医学的にも子宮ってのは その役割をする場所です。
それだけです。
Cは 子宮を本来の役割を果たすことなく失くしました。
流産の経験が3度あるので(なので一応ここに 形になってなくとも赤ちゃんが宿った経験はあるんですがね)まったく本来の役割を果たせず失くした訳ではないんですが…
今回の子宮全摘の手術にあたり 迷いは ありませんでした。
それは… とにかく毎月の痛みが酷すぎて その痛みから解放されるには摘出以外に方法が無かったからです。
SLEって持病が無ければ ホルモン剤(ピルなど)の治療も選択肢として あったし もっと筋腫が小さいうちに もっと腺筋症も軽いうちに手術しれいれば全摘でなく 子宮を残すことも可能でした。けど これも SLEがあるから 筋腫だけの核摘出手術だと また出てくる可能性があるんですよね。そうすれば また手術して取ることに。
そう何度も手術が出来ないから(術後 悪化傾向になるからってのと 体調が万全の時でないと手術もできないから)根治する為には全摘が1番の方法でした。
今回 迷いがなかったのは…
痛みの我慢が限界だったからってのは先ほど言いましたが それ以外の葛藤は もう既に5年前に しておりました。
5年前? 違うな。 6年前か。
3度目の流産後 先生から 次の妊娠を考えるなら夫婦揃って色んな検査を受けたほうが良いって言われた。
3度目の流産の時の流れてしまった子が 染色体の異常があったから流れたって検査結果が出たんです。
何番目の異常だったか忘れてしまいましたが その染色体異常ってのは Cと旦那の組み合わせだから育たないんだって。
ってか… お互い別の人とだったら大丈夫ってこと?
そんなことって あるの? それが あるみたいなんですよね。
まぁ この時には その可能性があるから詳しく調べたほうが良いってことで もし そうであったら 何かしら治療があるらしく 治療して妊娠に望む形になるってことでした。その可能性があるから 検査しなきゃ妊娠はダメ。何度 妊娠しても赤ちゃんが育たない可能性があるからね。
それと この時 既にCはSLEを発症してましたから 妊娠 出産もリスクがあるの。だから 何度も そんな状態になる訳にはいかないしね。
結局ね この後 夫婦で話し合ったんだけど その検査を受けることはなく実質 この時に うちは 子供のいない生活ってのを選択することになったんですよね。
この時 両方の両親に この話をして うちには子供が出来ることはありません。
孫を見せてあげることがでいなくて ごめんなさいって言ったの。
Cにとって この時が1番辛かったな。
あぁ もう 自分の子供に会うことは出来ないんだってね。
これ もしかして もっと夫婦共に年が若けりゃ その後の検査を受けてたと思う。
そして この年でも Cに持病がなけりゃ検査してたはず。
でも実際はCは35で ビミョーな年頃だったしね。
今 40過ぎても 母子共に健康でって例も沢山あります。
その時 そんなことも ってか 色んなこと調べたし先生にも聞いたしね。
しかし やっぱり 結局のところCの身体にもリスクがついてまわてって 赤ちゃんにも心臓に障害を持って生まれてくる可能性が高いってのもあったの。持病のこともしかり。高齢出産ってのもしかり。
あの時 いっぱい いっぱい考えて 出した答えだったんだけどね。
それから 子供のいない生活を選択した Cと旦那は生活スタイルを変えました。
この先 夫婦2人の生活なんだから 自分達だけで楽しもうってね。
だって そうするしか ないじゃない。
そんなこともあって 引っ越したのね。 念願だった お庭のある家(中古だけどね)
夫婦と犬とで快適に暮らせる家を手に入れて(って言っても ローンですが)
夫婦2人で生きていくって決めたけど もしかしたら気が変わるかも?
気が変わって検査するかも? な~んて この時は ほんの少しだけ心の中に そんな気持ちもありました。
(検査してまで子供はいらないって言ったの旦那だったからね。旦那にも色んな想いが あったようです。Cの身体のこともあるからね)
新しい気持ちでスタートしようと思ってね。
なのに 引っ越した その年の暮れに(8月に引越した) Cの身体に異常が…
手も足も顔もパンパンに腫れてきて 呼吸も苦しくなってきた。
いよいよ おかしいってことになり 病院へ。
ステロイド 増量し 2週間様子を見たけど 全く効果なし。
そして 入院することになりました。
この時 今まで ループス腎炎ってのはあったんですが それが進行し ネフローゼになってしまいました。
身体じゅう腫れたのは 全部むくみで 全部 水分だったんです。
おしっこが出てなかったんですよね。
自分では 出てると思ってたんですが(おしっこは近く 何度も行ってたか出てると思ってたけど実際は 回数行ってただけで尿量は少なかったようです)
入院して2週間ほどで体重が6キロ減りました。あっという間でした。
利尿剤で おしっこを出したら むくみも無くなっていき 体重もどんどん減ってった。
ステロイドは60㎎。
しかし 前回の入院は ステロイドだけの治療で なんとかなったんですが今回は無理なようで 免疫抑制剤を使わなきゃなんないことに。
しかし… この免疫抑制剤を使うと もう妊娠はできない。できないってか しちゃいけないの。
でも この時 もし 免疫抑制剤が嫌なら(妊娠を望むなら) 別の もう少し副作用のゆるいタイプの物があるから それを使う手もあるけど 効果もゆるいから 効くとは言えないってなことも言われた。
こうなる前に もう我が家は夫婦2人で生きていくって決めてたからね それをCは受け入れました。
Cの子供は ぼすお(この時は ぼすおが生きててグーとソーは まだ いなかった)だからね。 1日も早く良くなって退院して ぼすおと一緒に暮らしたい。 もう それしかないからね。
この免疫抑制剤ってのは点滴で入れるんだけど(24時間) 1ヶ月に1回を半年間で1クール。
この時の入院は結果的に4ヶ月間だったので 4回は入院中にして 残りの2回は 退院後 また2泊3日入院で2度 点滴しにいってました。
最初に免疫抑制剤を入れた時…
涙が出たよ。
あぁ これでホントに もう絶対に赤ちゃんに会うことは出来ないんだな~って。
これは誰も知らないこと。旦那も知らない。親も知らない。
誰にも言ってないもん。 今 初めて言葉にした。
今だから 言えるの。 もう時が過ぎてCの心が平穏になってるから。
あの頃は言えなかった。
心配かけちゃいけないって思ってた。
それでなくとも いっぱい心配かけてんのに これ以上はダメって思ってたからね。
この日は免疫抑制剤を入れながら 1日 メソメソしてたよな。
どうにもなんない どこにも ぶつけようの無い気持ち。
自分で 自分を呪った。 なんで こんな身体になってしまったんだってね。
なんで 自分だけ こんな悲しい苦しい思いばっか しなきゃなんないんだってね。
結婚したら子供ができる。普通のこと。
普通のことだと思ってた。
その普通が出来なかったC。
こんな訳のわかんない病気(SLE)になって合併症で腎臓も悪くして 流産も3回もして…
何事もなく みんな過ごしてるじゃない。なのに なんでCばっかり…
心の中にドロドロとしたもんが渦巻いてました。そして自分がホント情けなくなりました。
しばらく そんな想いがありましたが そんな素振りも見せず 笑ってたな。
苦しかったな~。あの頃。 自分で言うのも なんだけど よく がんばったなって思う。
あの頃の自分を誉めてあげたいわ(笑)
こんなことがあったから 子供は 諦め その後 今まで過ごしてきました。
子供がいない生活。夫婦2人だけの生活。(犬はいますが)
子供を持つ幸せって経験が出来ないんだったら 別の幸せ考えなきゃね。
子供を持ったからこその楽しみの経験が出来ないんだったら いないからこその楽しみ方を探さなきゃ!
子供がいる人には絶対できない何かを見つけて 楽しもう!!
そう思ったんだったよな。
だからキャンプにも行きまくったし 旅行にも行きまくったし。
旦那は欲しい物を買いまくってたしね。
結局のところは そんなことで心の穴を埋めるしか なかったの。
楽しんでるよ! 自由だよ!って思い込むしか なかったんだよね。
元々 さほど物欲の無かったCですが 自分が病気になって(SLE) そして子供を諦めて その後 益々 物欲がなくなった。
なんでだか わかってるんです。
Cが欲しいものは お金で買えるものじゃないってことを。
子供も健康もお金で どうにもなんないの。
どうしようもできない。どうにもなんないものが欲しいCは それ以上に欲しいものが見つからないから 何もいらないの。
まぁ こんなこと言ってられんのは贅沢なんでしょうね。
我が家 裕福じゃないけどね 夫婦2人と犬が普通に暮らせるだけ旦那が がんばって仕事してくれてますからね。
今は時間がなく なかなか どこにも行けないけど キャンプや旅行にも 月1ぐらいなら行く余裕もあります。
お金持ちじゃないけどさ お金が無いこともない。
毎月 毎月 あったら あっただけ使うから その日暮らし的なとこはあるけど 本気でヤバイってことに(支払いできないとか)なったこと無いからね。 だから お金で買えるものじゃないってなんて言ってられんのかもしれないね。
しばらくの間 口では平気なことばっか言ってたけどね でも心の中では色んなこと想ってたな~。
子供を見るのが辛い時期もあったよ。
けどね そんな自分が嫌で嫌で仕方なくてね これじゃいけないって思ったの。
これじゃ死ぬまで 楽しむことなんてできないってね。
それからかな。
色んなことを割り切れるようになってきたのは。どんどんドロドロした想いが無くなってったんだったよな。
いつまでも こんなことしてれない。こんなじゃダメってね。
そして1番大きいかったのは ぼすおの死でした。
大事な大事なCの息仔。
人間の子じゃなかったけど Cにとっては 同じでした。
ぼすおの闘病 そして死。
その後…
Cの それまでの人生観を変えたのは ぼすおでした。
犬ってね どんな状況でも どんな状態でも その時の最善を尽くして生きてるの。
前も見ないし後ろも振り向かない。
だから 『今』この瞬間だけを生きてるの。
だから先の心配もしないし 後悔もない。
今の延長が未来で 今が過ぎた瞬間から過去になってくんだもんね。
誰かがいるから幸せで 何かがあるから幸せでってことじゃないのよね。
だからさ 無いから不幸せってことでもないの。
結局はさ 自分自身。
あっても なくても幸せだって思う自分の心なんだよね。
ぼすおは こんなことを命をかけてCに教えてくれました。
ぼすおが いなくなってから しばらく 何も手に付かず泣き暮らしてましたが 心の中で いつも ぼすおと会話してて(きっと狂ってるって他人様は思うかもしれないけど) こんなことに気付きました。
それからです。
また新しい命と出会い(グーとソー) 現在に至ってるわけなんですが 今はね 強がりとかではなく 子供のいない生活も楽しいねって思えるようになりました。 そして楽しんでる自分がいます。
そりゃね もし叶うなら 今からでも子供は欲しと思うよ。
これは きっとCが生きてる限り そう思うはず。 だって得ることができないんだもん。そりゃ欲しいでしょ?
子供なんて いらないわ~なんて そんなことは言えないな。やっぱ欲しい。
けど これはもう 何をどうしても無理なんでね。
ドロドロした想いで欲しいって思うんじゃなくってさ ただ単純に 欲しいって思ってるだけ。
きっと来世では 子沢山な肝っ玉 母ちゃんになってる予定(笑)
だから今世では 子なし生活 満喫してさ できること いっぱいしとかなきゃって そんな風に思ってる。
だって 子沢山だと 自分のしたいことなんて出来ないでしょ?
っと まぁ 今は こんな風に思ってるから 色んな自分で自分を がんじがらめにしてた呪縛から開放されて この今の生活を楽しんでおります。
長くなりましたが その楽しい時間を過ごすにあたり 筋腫と腺筋症のせいで 痛みやダルさが無いのが月に10日ほどしかなく それ以外の20日間は 耐えるしかなかったの。
やっとこさ 色んな意味で これからの人生 楽しもうって思えたのに 痛みのせいで楽しめない。
これは何とかしなきゃ! そう思ってたけど これまた持病(SLE)のせいで どうにもできなくて。
で… やっとこさ ステロイドの量は15ミリと ちょこっと多い服用量だったけど体調や数値が 数ヶ月 安定してたから 今回手術が できることになり 子宮を全摘することになったんですよね。
子宮全摘…
今までに 何もなければ きっとCは 迷ったかもしれない。
けどCは 子宮を失くすことに 既に迷うことは 何もありませんでした。
あっ!何も無かったってのはウソになる。
子宮を失くす=女じゃなくなる
そんな気持ちが少しありました。
なんだか寂しい気持ちが いざ 手術できるってなると そう思いました。
しかし 正直 やっとこれでホントに楽しめる。
やっと この痛みから解放される。
そういう想いが とても強かったです。 だから 手術してもいいってことになって とっても嬉しかったんですよね。
それからね…
今回 手術してくれた先生ってのが 最初の妊娠から その後2回の妊娠 それ以降 筋腫と腺筋症に年1回のガン検診と この10年 ずっとCを診てくださってる先生がね SLEの方の先生から手術していいってことになりましたって報告しにいった日…
まずは そうとなれば 色々 どんな形で手術するのかとか 日にちも決めなきゃなんないしとかってことを先に済ませ そして 最後にね
『☆☆さん。長い付き合いやのに ごめんな。赤ちゃん見せたげること できんと。子宮を使うことなく 子宮取ることになって。申し訳ない』って言うの。
先生のせいじゃないし そもそも2回の流産を繰り返した時 ちょっと検査してみたらって言ってしてくれた検査で SLEだってことが早期でわかってさ。 この先生にCがお礼を言わなきゃなんないぐらいなのに なんで先生が謝るのよ。
不覚にも この場でホロリときてしまい泣いちゃった。
先生の その言葉 心に ず~んと響いちゃってさ。
きっとね受け取り方って人それぞれだから こんな風に言われても 大きなお世話だわって怒る人もいるかもしれない。
けどCは 心が あったかくなったんだよね。
でね この先生の言葉ってさ Cが旦那にも言える言葉なんだよね。
自分が言うであろう言葉をね 誰かから聞かせれるだなんて思ってもなかったからさ。
なんかね 今まで 辛かったし 悲しかったし 苦しかったこと いっぱいあったけど 最後に こんな風に言ってくれる先生に取ってもらえるんだから(手術) Cの子宮も本望だわって思ったの。
こんなことも あったからね 手術に対しての不安は まったく無かったの。
この先生に任せておけば 大丈夫ってね。
手術前 こんなことを思ってました。
そして入院したんですが… この後 思いがけない出来事が入院中にありまして…
長くなってきたので続きは また明日にします。
重苦しく かなり長い話にお付き合いくださいまして どうも ありがとです。
さてさて。入院12日目(術後10日目)
待ちに待った退院日。
思いがけず 早く退院できることになり 朝からウキウキ。
前夜 嬉しさのあまり なかなか寝付けなかったくせに 朝も早起き(笑)
この日は 朝から看護師さんが来ましたが いつものチェックも何もなし。
『今日 退院ですもんね~。おめでとうございます』って言葉をいただき終了。
その後 朝ごはんを食べ 10時半にお迎えに来てもらって 祝 退院!
まず 旦那の実家へ立ち寄って(病院から車で2分ほどの場所なんで) 退院しましたの報告。
そしたら 退院祝いって言って お肉や何やらかんやら大量に買ってくれてて 頂いてきました。
(前日にね退院したら何 食べたいって義母さんが聞いてくれたから迷わず 肉って答えたC 笑)
10分ほど話て その後 家に帰ってからの服が無いことに気付き(お腹に傷をガードする腹帯してるので ウエスト周りが ゆったりしたパンツや ゆったりしたワンピースなどが必要なんだけど そんな服が無い)帰り道にユニクロがあるから寄って 4着ほど購入。
その後 スーパーへ行って アレコレ買う予定だったけど なんだか すっごい疲れてきて ちょこっと買い物して終了。
たった2週間の入院なのに体力がガタ落ちしてることに この時 気付いた。
こうして12日間の入院生活は 終わりました。
今回の子宮全摘出手術ですが…
手術前 そして入院中の気持ちってか心の葛藤などを少し(長くなるかも?)
楽しい話じゃないんで こんな話が嫌いな方は今日はスルー願います。
女性にとって やっぱりね 子宮って他の臓器より特別な想いがあると思います。
別に どんな臓器も同じだよって方もいらっしゃるかも。
けど 多くの女性は 子宮を失くすってことに 抵抗があると思います。
『女は子宮で物事を考える』って言葉もあるぐらいですからね。
女性にとって子宮って何?
赤ちゃんを宿し成長させる場所。 そうです。そうなんです。
医学的にも子宮ってのは その役割をする場所です。
それだけです。
Cは 子宮を本来の役割を果たすことなく失くしました。
流産の経験が3度あるので(なので一応ここに 形になってなくとも赤ちゃんが宿った経験はあるんですがね)まったく本来の役割を果たせず失くした訳ではないんですが…
今回の子宮全摘の手術にあたり 迷いは ありませんでした。
それは… とにかく毎月の痛みが酷すぎて その痛みから解放されるには摘出以外に方法が無かったからです。
SLEって持病が無ければ ホルモン剤(ピルなど)の治療も選択肢として あったし もっと筋腫が小さいうちに もっと腺筋症も軽いうちに手術しれいれば全摘でなく 子宮を残すことも可能でした。けど これも SLEがあるから 筋腫だけの核摘出手術だと また出てくる可能性があるんですよね。そうすれば また手術して取ることに。
そう何度も手術が出来ないから(術後 悪化傾向になるからってのと 体調が万全の時でないと手術もできないから)根治する為には全摘が1番の方法でした。
今回 迷いがなかったのは…
痛みの我慢が限界だったからってのは先ほど言いましたが それ以外の葛藤は もう既に5年前に しておりました。
5年前? 違うな。 6年前か。
3度目の流産後 先生から 次の妊娠を考えるなら夫婦揃って色んな検査を受けたほうが良いって言われた。
3度目の流産の時の流れてしまった子が 染色体の異常があったから流れたって検査結果が出たんです。
何番目の異常だったか忘れてしまいましたが その染色体異常ってのは Cと旦那の組み合わせだから育たないんだって。
ってか… お互い別の人とだったら大丈夫ってこと?
そんなことって あるの? それが あるみたいなんですよね。
まぁ この時には その可能性があるから詳しく調べたほうが良いってことで もし そうであったら 何かしら治療があるらしく 治療して妊娠に望む形になるってことでした。その可能性があるから 検査しなきゃ妊娠はダメ。何度 妊娠しても赤ちゃんが育たない可能性があるからね。
それと この時 既にCはSLEを発症してましたから 妊娠 出産もリスクがあるの。だから 何度も そんな状態になる訳にはいかないしね。
結局ね この後 夫婦で話し合ったんだけど その検査を受けることはなく実質 この時に うちは 子供のいない生活ってのを選択することになったんですよね。
この時 両方の両親に この話をして うちには子供が出来ることはありません。
孫を見せてあげることがでいなくて ごめんなさいって言ったの。
Cにとって この時が1番辛かったな。
あぁ もう 自分の子供に会うことは出来ないんだってね。
これ もしかして もっと夫婦共に年が若けりゃ その後の検査を受けてたと思う。
そして この年でも Cに持病がなけりゃ検査してたはず。
でも実際はCは35で ビミョーな年頃だったしね。
今 40過ぎても 母子共に健康でって例も沢山あります。
その時 そんなことも ってか 色んなこと調べたし先生にも聞いたしね。
しかし やっぱり 結局のところCの身体にもリスクがついてまわてって 赤ちゃんにも心臓に障害を持って生まれてくる可能性が高いってのもあったの。持病のこともしかり。高齢出産ってのもしかり。
あの時 いっぱい いっぱい考えて 出した答えだったんだけどね。
それから 子供のいない生活を選択した Cと旦那は生活スタイルを変えました。
この先 夫婦2人の生活なんだから 自分達だけで楽しもうってね。
だって そうするしか ないじゃない。
そんなこともあって 引っ越したのね。 念願だった お庭のある家(中古だけどね)
夫婦と犬とで快適に暮らせる家を手に入れて(って言っても ローンですが)
夫婦2人で生きていくって決めたけど もしかしたら気が変わるかも?
気が変わって検査するかも? な~んて この時は ほんの少しだけ心の中に そんな気持ちもありました。
(検査してまで子供はいらないって言ったの旦那だったからね。旦那にも色んな想いが あったようです。Cの身体のこともあるからね)
新しい気持ちでスタートしようと思ってね。
なのに 引っ越した その年の暮れに(8月に引越した) Cの身体に異常が…
手も足も顔もパンパンに腫れてきて 呼吸も苦しくなってきた。
いよいよ おかしいってことになり 病院へ。
ステロイド 増量し 2週間様子を見たけど 全く効果なし。
そして 入院することになりました。
この時 今まで ループス腎炎ってのはあったんですが それが進行し ネフローゼになってしまいました。
身体じゅう腫れたのは 全部むくみで 全部 水分だったんです。
おしっこが出てなかったんですよね。
自分では 出てると思ってたんですが(おしっこは近く 何度も行ってたか出てると思ってたけど実際は 回数行ってただけで尿量は少なかったようです)
入院して2週間ほどで体重が6キロ減りました。あっという間でした。
利尿剤で おしっこを出したら むくみも無くなっていき 体重もどんどん減ってった。
ステロイドは60㎎。
しかし 前回の入院は ステロイドだけの治療で なんとかなったんですが今回は無理なようで 免疫抑制剤を使わなきゃなんないことに。
しかし… この免疫抑制剤を使うと もう妊娠はできない。できないってか しちゃいけないの。
でも この時 もし 免疫抑制剤が嫌なら(妊娠を望むなら) 別の もう少し副作用のゆるいタイプの物があるから それを使う手もあるけど 効果もゆるいから 効くとは言えないってなことも言われた。
こうなる前に もう我が家は夫婦2人で生きていくって決めてたからね それをCは受け入れました。
Cの子供は ぼすお(この時は ぼすおが生きててグーとソーは まだ いなかった)だからね。 1日も早く良くなって退院して ぼすおと一緒に暮らしたい。 もう それしかないからね。
この免疫抑制剤ってのは点滴で入れるんだけど(24時間) 1ヶ月に1回を半年間で1クール。
この時の入院は結果的に4ヶ月間だったので 4回は入院中にして 残りの2回は 退院後 また2泊3日入院で2度 点滴しにいってました。
最初に免疫抑制剤を入れた時…
涙が出たよ。
あぁ これでホントに もう絶対に赤ちゃんに会うことは出来ないんだな~って。
これは誰も知らないこと。旦那も知らない。親も知らない。
誰にも言ってないもん。 今 初めて言葉にした。
今だから 言えるの。 もう時が過ぎてCの心が平穏になってるから。
あの頃は言えなかった。
心配かけちゃいけないって思ってた。
それでなくとも いっぱい心配かけてんのに これ以上はダメって思ってたからね。
この日は免疫抑制剤を入れながら 1日 メソメソしてたよな。
どうにもなんない どこにも ぶつけようの無い気持ち。
自分で 自分を呪った。 なんで こんな身体になってしまったんだってね。
なんで 自分だけ こんな悲しい苦しい思いばっか しなきゃなんないんだってね。
結婚したら子供ができる。普通のこと。
普通のことだと思ってた。
その普通が出来なかったC。
こんな訳のわかんない病気(SLE)になって合併症で腎臓も悪くして 流産も3回もして…
何事もなく みんな過ごしてるじゃない。なのに なんでCばっかり…
心の中にドロドロとしたもんが渦巻いてました。そして自分がホント情けなくなりました。
しばらく そんな想いがありましたが そんな素振りも見せず 笑ってたな。
苦しかったな~。あの頃。 自分で言うのも なんだけど よく がんばったなって思う。
あの頃の自分を誉めてあげたいわ(笑)
こんなことがあったから 子供は 諦め その後 今まで過ごしてきました。
子供がいない生活。夫婦2人だけの生活。(犬はいますが)
子供を持つ幸せって経験が出来ないんだったら 別の幸せ考えなきゃね。
子供を持ったからこその楽しみの経験が出来ないんだったら いないからこその楽しみ方を探さなきゃ!
子供がいる人には絶対できない何かを見つけて 楽しもう!!
そう思ったんだったよな。
だからキャンプにも行きまくったし 旅行にも行きまくったし。
旦那は欲しい物を買いまくってたしね。
結局のところは そんなことで心の穴を埋めるしか なかったの。
楽しんでるよ! 自由だよ!って思い込むしか なかったんだよね。
元々 さほど物欲の無かったCですが 自分が病気になって(SLE) そして子供を諦めて その後 益々 物欲がなくなった。
なんでだか わかってるんです。
Cが欲しいものは お金で買えるものじゃないってことを。
子供も健康もお金で どうにもなんないの。
どうしようもできない。どうにもなんないものが欲しいCは それ以上に欲しいものが見つからないから 何もいらないの。
まぁ こんなこと言ってられんのは贅沢なんでしょうね。
我が家 裕福じゃないけどね 夫婦2人と犬が普通に暮らせるだけ旦那が がんばって仕事してくれてますからね。
今は時間がなく なかなか どこにも行けないけど キャンプや旅行にも 月1ぐらいなら行く余裕もあります。
お金持ちじゃないけどさ お金が無いこともない。
毎月 毎月 あったら あっただけ使うから その日暮らし的なとこはあるけど 本気でヤバイってことに(支払いできないとか)なったこと無いからね。 だから お金で買えるものじゃないってなんて言ってられんのかもしれないね。
しばらくの間 口では平気なことばっか言ってたけどね でも心の中では色んなこと想ってたな~。
子供を見るのが辛い時期もあったよ。
けどね そんな自分が嫌で嫌で仕方なくてね これじゃいけないって思ったの。
これじゃ死ぬまで 楽しむことなんてできないってね。
それからかな。
色んなことを割り切れるようになってきたのは。どんどんドロドロした想いが無くなってったんだったよな。
いつまでも こんなことしてれない。こんなじゃダメってね。
そして1番大きいかったのは ぼすおの死でした。
大事な大事なCの息仔。
人間の子じゃなかったけど Cにとっては 同じでした。
ぼすおの闘病 そして死。
その後…
Cの それまでの人生観を変えたのは ぼすおでした。
犬ってね どんな状況でも どんな状態でも その時の最善を尽くして生きてるの。
前も見ないし後ろも振り向かない。
だから 『今』この瞬間だけを生きてるの。
だから先の心配もしないし 後悔もない。
今の延長が未来で 今が過ぎた瞬間から過去になってくんだもんね。
誰かがいるから幸せで 何かがあるから幸せでってことじゃないのよね。
だからさ 無いから不幸せってことでもないの。
結局はさ 自分自身。
あっても なくても幸せだって思う自分の心なんだよね。
ぼすおは こんなことを命をかけてCに教えてくれました。
ぼすおが いなくなってから しばらく 何も手に付かず泣き暮らしてましたが 心の中で いつも ぼすおと会話してて(きっと狂ってるって他人様は思うかもしれないけど) こんなことに気付きました。
それからです。
また新しい命と出会い(グーとソー) 現在に至ってるわけなんですが 今はね 強がりとかではなく 子供のいない生活も楽しいねって思えるようになりました。 そして楽しんでる自分がいます。
そりゃね もし叶うなら 今からでも子供は欲しと思うよ。
これは きっとCが生きてる限り そう思うはず。 だって得ることができないんだもん。そりゃ欲しいでしょ?
子供なんて いらないわ~なんて そんなことは言えないな。やっぱ欲しい。
けど これはもう 何をどうしても無理なんでね。
ドロドロした想いで欲しいって思うんじゃなくってさ ただ単純に 欲しいって思ってるだけ。
きっと来世では 子沢山な肝っ玉 母ちゃんになってる予定(笑)
だから今世では 子なし生活 満喫してさ できること いっぱいしとかなきゃって そんな風に思ってる。
だって 子沢山だと 自分のしたいことなんて出来ないでしょ?
っと まぁ 今は こんな風に思ってるから 色んな自分で自分を がんじがらめにしてた呪縛から開放されて この今の生活を楽しんでおります。
長くなりましたが その楽しい時間を過ごすにあたり 筋腫と腺筋症のせいで 痛みやダルさが無いのが月に10日ほどしかなく それ以外の20日間は 耐えるしかなかったの。
やっとこさ 色んな意味で これからの人生 楽しもうって思えたのに 痛みのせいで楽しめない。
これは何とかしなきゃ! そう思ってたけど これまた持病(SLE)のせいで どうにもできなくて。
で… やっとこさ ステロイドの量は15ミリと ちょこっと多い服用量だったけど体調や数値が 数ヶ月 安定してたから 今回手術が できることになり 子宮を全摘することになったんですよね。
子宮全摘…
今までに 何もなければ きっとCは 迷ったかもしれない。
けどCは 子宮を失くすことに 既に迷うことは 何もありませんでした。
あっ!何も無かったってのはウソになる。
子宮を失くす=女じゃなくなる
そんな気持ちが少しありました。
なんだか寂しい気持ちが いざ 手術できるってなると そう思いました。
しかし 正直 やっとこれでホントに楽しめる。
やっと この痛みから解放される。
そういう想いが とても強かったです。 だから 手術してもいいってことになって とっても嬉しかったんですよね。
それからね…
今回 手術してくれた先生ってのが 最初の妊娠から その後2回の妊娠 それ以降 筋腫と腺筋症に年1回のガン検診と この10年 ずっとCを診てくださってる先生がね SLEの方の先生から手術していいってことになりましたって報告しにいった日…
まずは そうとなれば 色々 どんな形で手術するのかとか 日にちも決めなきゃなんないしとかってことを先に済ませ そして 最後にね
『☆☆さん。長い付き合いやのに ごめんな。赤ちゃん見せたげること できんと。子宮を使うことなく 子宮取ることになって。申し訳ない』って言うの。
先生のせいじゃないし そもそも2回の流産を繰り返した時 ちょっと検査してみたらって言ってしてくれた検査で SLEだってことが早期でわかってさ。 この先生にCがお礼を言わなきゃなんないぐらいなのに なんで先生が謝るのよ。
不覚にも この場でホロリときてしまい泣いちゃった。
先生の その言葉 心に ず~んと響いちゃってさ。
きっとね受け取り方って人それぞれだから こんな風に言われても 大きなお世話だわって怒る人もいるかもしれない。
けどCは 心が あったかくなったんだよね。
でね この先生の言葉ってさ Cが旦那にも言える言葉なんだよね。
自分が言うであろう言葉をね 誰かから聞かせれるだなんて思ってもなかったからさ。
なんかね 今まで 辛かったし 悲しかったし 苦しかったこと いっぱいあったけど 最後に こんな風に言ってくれる先生に取ってもらえるんだから(手術) Cの子宮も本望だわって思ったの。
こんなことも あったからね 手術に対しての不安は まったく無かったの。
この先生に任せておけば 大丈夫ってね。
手術前 こんなことを思ってました。
そして入院したんですが… この後 思いがけない出来事が入院中にありまして…
長くなってきたので続きは また明日にします。
重苦しく かなり長い話にお付き合いくださいまして どうも ありがとです。
2014年06月09日
入院10日目~12日目(SLE持ち 子宮全摘出)
おはようございます!
梅雨入りしてから あまり雨が降らない ぼすおソーグー地方。
おかげで ズブ濡れ散歩が あまりなく良いことなんですが…
グーもソーも雨でも お散歩 行きたい派。 だから雨降りの日は大変です(帰ってきてからのタオルドライがね)
今月に入ってから お散歩へ ついていってます。
リードは まだ持てないけど 一緒に歩いてます。
最初は15分から 徐々に歩く時間を延ばし 先週から 40分 一緒に歩いてます。
グーは 何もなけりゃ(喧嘩売ってくる犬に出会わなければ)引っ張りは皆無なんで 少しの間 グーのリードを持ってみたりもしています。
お散歩って やっぱ楽しいね。
この仔達と一緒に歩くのは 楽しい。
Cにとって お散歩は 気分転換と癒しの時間です。
そして 今まで 当たり前のように行ってたから わかんなかったけど Cにとってはダイエットにも なってたみたい。
この仔達とお散歩に行けなくなって 体重が増加(汗)
身体全体がブヨブヨになっちゃってます(涙)
ただ今 大女です。 ヤバすぎる~(汗)
さてさて…
今日も入院中のことを。早く書かなきゃ忘れちゃう。
術後7日目
この日も特に変わったことはなく 朝 昼 夜に いつもの看護師さんのチェック。
そして 先生のチェック。注射1回(アリクストラ皮下注2.5㎎→血栓の形成をおさえ 静脈血栓症の発症予防)
痛みも和らぎ 順調に回復してるから ほったらかされ状態(笑)
まぁ ほったらかされてるって良いことなんですけどね。
何も問題ないから ほったらかされてんですから。
術後3日目までは しょっちゅう看護師さんや先生が来てましたから。
術後8日目
この日も 朝 昼 夜に看護師さんのチェック。
そして 先生のチェック。注射1回。(アリクストラ皮下注2.5㎎→血栓の形成をおさえ 静脈血栓症の発症予防)
この日で注射終了!
この注射 痛いんですよね。
そして この注射した場所が しばらくボコッと腫れてました。コブのようになってて…
結果的に術後1ヶ月の検診の時にも 若干コブは残ってました。
そして 現在(術後1ヶ月半)やっとこさ消えました!
この日 いつもと違ったことは 朝1番で採血があったこと。
それと内診がありました。
この採血の結果と内診で 退院が決まるっていう大事なこと。
思いのほか 傷の治り具合も良く(SLEのことで服用の薬があるから 治りが少し遅めになるって予想で入院期間は普通の人より少し長めって言われてたんだけど 結果的に良かったから普通の人と同じ日数で 採血と内診がありました)
結果 どちらも良好! ってな訳で 想像もしてなかった早期退院 決定!!
予定では SLEがあるから 退院はGW明けってことになってたんだけど まさかの退院許可。
やったぁ~!! 速攻 旦那に連絡。
翌日に退院してもいいとのこと。
が… しかし…
旦那が お迎えに来てもらえない(涙)
退院は午前中にしなきゃなんないとのことで 午前中のお迎えが無理。
実親に頼めば 翌日退院できたんだけど 家に帰れない。
なんで? 家に送ってもらえば帰れるじゃない?って思った あなた!
それが帰れないのよね~。
うちには 久しぶりに ご対面~ってことになるグーとソーがいる。
親にグーとソーの制止が出来るはずもなく もしCに飛びつかれでもしたら…
恐ろしい。
親と旦那とCで相談した結果 やっぱり旦那がいる時に退院したほうが良いってことになり もう1日だけ我慢して入院させてもらえってことになったの。
元々 GW明けに退院予定だったからさ 予定より約1週間も早い退院許可だったの。
だから1日ぐらい我慢しろって感じなんだけどさ。
いざ 退院していいよって言われると 1日でも早く帰りたいって思っちゃうのよね~。
でも 仕方ないし やっぱり 旦那がいる時に帰らなきゃ グーとソーが大興奮しちゃったら制止できるのは旦那しかいないしね。
大事をとって 翌日退院は我慢しました。
で… この日は 退院が決まったから 大忙し。
退院するにあたって 家での生活の説明を聞きにいったり(そんなお部屋があるの。この時の内容は もしかしたら今後 子宮全摘手術を受ける方の参考になるかもしれないから別の日に詳しく書きますね) 退院後のお薬の説明があったり 傷テープの貼り方の指導があったり。
ここ数日 朝 昼 夜に看護師さんが来てチェックするのと1日1回先生が来る以外の何もなかったからね~。
この日は あっという間に1日が終わりました。
術後9日目
退院許可が下りたからホントなら退院しても良かったんだけど諸事象により1日遅れ翌日退院になったC。
だからさ 何もないの。
一応 まだ入院中だから 看護師さんが朝昼夜の3回の いつものチェックはしたんだけどね。
翌日から世間はGW。赤日だからさ 入院の支払いが出来ないのよね。
後日 振込みになるらしい。
けど それって面倒だからさ この日に清算できないか聞いてみた。
そしたら できるって言うからさ この日に清算してもらって 支払いを済ませました。
そして親しい友人達に退院許可がおりたことをメールしました。
そうそう。
入院中… まったく いつもど~り毎日 快眠できてたC(笑)
神経が 図太いのか? 入院した日(手術前日)も ぐっすり眠れたもんね。
術後は麻酔のおかげで ぐっすりだったし それ以降も ずっと眠れてたし。
1日だけ 痛みで(昼間 寝すぎたせいもあるけど) 眠れなかった日があったけど それ以外 日々 快眠。
まぁ 他人の鼾で眠れないとかって入院中 よく聞く話なんだけど 我が家の旦那も犬達も 日ごろ すっごい鼾なの。
鼾には慣れてるからね~。
それに キャンプのおかげで どこでも寝れるからさ。
まぁね… 入院も慣れっこだしね。 何回も入院してるし 長期入院の経験ありだしね。
いつもど~り ずっと眠れてたCが 明日 退院っていう この日…
なかなか眠れなかった。
嬉しくて興奮してたんでしょうね。
子供か!って感じですが なかなか眠れなかった。
やっと やっと グーとソーに会えると思うと嬉しくて。
こうして 入院生活最後の夜を迎えたCなのであります。
明日は 退院当日のことと… 今までは 入院中の経過ばかりを書いてきましたが 明日は その時のCの心の気持ちを書こうと思ってます。
今回の入院 手術は… ちょっぴり心が痛くなっちゃう出来事がありました。
重苦しく書くつもりはないんですが そんな内容になるので 嫌な方は明日はスルー願います。
そんなこんなで 今日も訪問ありがとです。
みなさま~! また1週間 お仕事がんばりましょうね~!!
今日も文字ばかりでスイマセン。
梅雨入りしてから あまり雨が降らない ぼすおソーグー地方。
おかげで ズブ濡れ散歩が あまりなく良いことなんですが…
グーもソーも雨でも お散歩 行きたい派。 だから雨降りの日は大変です(帰ってきてからのタオルドライがね)
今月に入ってから お散歩へ ついていってます。
リードは まだ持てないけど 一緒に歩いてます。
最初は15分から 徐々に歩く時間を延ばし 先週から 40分 一緒に歩いてます。
グーは 何もなけりゃ(喧嘩売ってくる犬に出会わなければ)引っ張りは皆無なんで 少しの間 グーのリードを持ってみたりもしています。
お散歩って やっぱ楽しいね。
この仔達と一緒に歩くのは 楽しい。
Cにとって お散歩は 気分転換と癒しの時間です。
そして 今まで 当たり前のように行ってたから わかんなかったけど Cにとってはダイエットにも なってたみたい。
この仔達とお散歩に行けなくなって 体重が増加(汗)
身体全体がブヨブヨになっちゃってます(涙)
ただ今 大女です。 ヤバすぎる~(汗)
さてさて…
今日も入院中のことを。早く書かなきゃ忘れちゃう。
術後7日目
この日も特に変わったことはなく 朝 昼 夜に いつもの看護師さんのチェック。
そして 先生のチェック。注射1回(アリクストラ皮下注2.5㎎→血栓の形成をおさえ 静脈血栓症の発症予防)
痛みも和らぎ 順調に回復してるから ほったらかされ状態(笑)
まぁ ほったらかされてるって良いことなんですけどね。
何も問題ないから ほったらかされてんですから。
術後3日目までは しょっちゅう看護師さんや先生が来てましたから。
術後8日目
この日も 朝 昼 夜に看護師さんのチェック。
そして 先生のチェック。注射1回。(アリクストラ皮下注2.5㎎→血栓の形成をおさえ 静脈血栓症の発症予防)
この日で注射終了!
この注射 痛いんですよね。
そして この注射した場所が しばらくボコッと腫れてました。コブのようになってて…
結果的に術後1ヶ月の検診の時にも 若干コブは残ってました。
そして 現在(術後1ヶ月半)やっとこさ消えました!
この日 いつもと違ったことは 朝1番で採血があったこと。
それと内診がありました。
この採血の結果と内診で 退院が決まるっていう大事なこと。
思いのほか 傷の治り具合も良く(SLEのことで服用の薬があるから 治りが少し遅めになるって予想で入院期間は普通の人より少し長めって言われてたんだけど 結果的に良かったから普通の人と同じ日数で 採血と内診がありました)
結果 どちらも良好! ってな訳で 想像もしてなかった早期退院 決定!!
予定では SLEがあるから 退院はGW明けってことになってたんだけど まさかの退院許可。
やったぁ~!! 速攻 旦那に連絡。
翌日に退院してもいいとのこと。
が… しかし…
旦那が お迎えに来てもらえない(涙)
退院は午前中にしなきゃなんないとのことで 午前中のお迎えが無理。
実親に頼めば 翌日退院できたんだけど 家に帰れない。
なんで? 家に送ってもらえば帰れるじゃない?って思った あなた!
それが帰れないのよね~。
うちには 久しぶりに ご対面~ってことになるグーとソーがいる。
親にグーとソーの制止が出来るはずもなく もしCに飛びつかれでもしたら…
恐ろしい。
親と旦那とCで相談した結果 やっぱり旦那がいる時に退院したほうが良いってことになり もう1日だけ我慢して入院させてもらえってことになったの。
元々 GW明けに退院予定だったからさ 予定より約1週間も早い退院許可だったの。
だから1日ぐらい我慢しろって感じなんだけどさ。
いざ 退院していいよって言われると 1日でも早く帰りたいって思っちゃうのよね~。
でも 仕方ないし やっぱり 旦那がいる時に帰らなきゃ グーとソーが大興奮しちゃったら制止できるのは旦那しかいないしね。
大事をとって 翌日退院は我慢しました。
で… この日は 退院が決まったから 大忙し。
退院するにあたって 家での生活の説明を聞きにいったり(そんなお部屋があるの。この時の内容は もしかしたら今後 子宮全摘手術を受ける方の参考になるかもしれないから別の日に詳しく書きますね) 退院後のお薬の説明があったり 傷テープの貼り方の指導があったり。
ここ数日 朝 昼 夜に看護師さんが来てチェックするのと1日1回先生が来る以外の何もなかったからね~。
この日は あっという間に1日が終わりました。
術後9日目
退院許可が下りたからホントなら退院しても良かったんだけど諸事象により1日遅れ翌日退院になったC。
だからさ 何もないの。
一応 まだ入院中だから 看護師さんが朝昼夜の3回の いつものチェックはしたんだけどね。
翌日から世間はGW。赤日だからさ 入院の支払いが出来ないのよね。
後日 振込みになるらしい。
けど それって面倒だからさ この日に清算できないか聞いてみた。
そしたら できるって言うからさ この日に清算してもらって 支払いを済ませました。
そして親しい友人達に退院許可がおりたことをメールしました。
そうそう。
入院中… まったく いつもど~り毎日 快眠できてたC(笑)
神経が 図太いのか? 入院した日(手術前日)も ぐっすり眠れたもんね。
術後は麻酔のおかげで ぐっすりだったし それ以降も ずっと眠れてたし。
1日だけ 痛みで(昼間 寝すぎたせいもあるけど) 眠れなかった日があったけど それ以外 日々 快眠。
まぁ 他人の鼾で眠れないとかって入院中 よく聞く話なんだけど 我が家の旦那も犬達も 日ごろ すっごい鼾なの。
鼾には慣れてるからね~。
それに キャンプのおかげで どこでも寝れるからさ。
まぁね… 入院も慣れっこだしね。 何回も入院してるし 長期入院の経験ありだしね。
いつもど~り ずっと眠れてたCが 明日 退院っていう この日…
なかなか眠れなかった。
嬉しくて興奮してたんでしょうね。
子供か!って感じですが なかなか眠れなかった。
やっと やっと グーとソーに会えると思うと嬉しくて。
こうして 入院生活最後の夜を迎えたCなのであります。
明日は 退院当日のことと… 今までは 入院中の経過ばかりを書いてきましたが 明日は その時のCの心の気持ちを書こうと思ってます。
今回の入院 手術は… ちょっぴり心が痛くなっちゃう出来事がありました。
重苦しく書くつもりはないんですが そんな内容になるので 嫌な方は明日はスルー願います。
そんなこんなで 今日も訪問ありがとです。
みなさま~! また1週間 お仕事がんばりましょうね~!!
今日も文字ばかりでスイマセン。
2014年06月07日
入院8日目・9日目(SLE持ち 子宮全摘出)
おはようございます。
今日は久しぶりに入院時のことを。
実は… 忘れておりました(汗)
記録として残しておこうと思って書いてたのに すっかり頭の中から消えておりました。
あぁ ちゃんと思い出せるのか?
入院8日目 術後6日目
朝 昼 夜の1日3回 看護師さんが来て 検温 血圧 そして傷のチェック。
注射1回。(アリクストラ皮下注2.5㎎→血栓の形成をおさえ 静脈血栓症の発症予防)
そして この日は 予定表には 抜糸の日ってことになってた。
だからね ちょっと憂鬱だったの。
若かりし頃 太ももに デキモノができて それが どんどん大きくなってきてね 病院へ行ったら…
どうやら良性の腫瘍(ようは脂肪の塊)。
けど 大きくなってくタイプのモノだったようで切除することに。
日帰りで部分麻酔で取ることに。
この時の抜糸がね 痛かったの(涙)
血も出たし 麻酔してくれってぐらい痛かったの。
けど どうやら そうなっちゃった原因はCにあったみたいなんだけどね。
この時 どうしても仕事が休める状況でなく(飲食業での立ち仕事) そのデキモノを取った その日の午後から 仕事してたのね。
若いって どうして こんな無謀なことできるんだろ?
今なら 何が何でも休むのにね。 せめて 当日と翌日ぐらいは休むはず。
なのに あの頃にCは これぐらい たいしたことないって思ってね 仕事してたの。
だから 糸が肉にめり込んじゃって(涙) 動かしすぎたようなんです。
そんな過去の経験があるからさ 抜糸が恐怖で(汗)
昼前に先生が来て(傷のチェック)
『いい感じに治ってきてますね。じゃぁ 予定ど~り今日は抜糸しましょう』
ぎゃぁ~!ついにきた。 あぁ嫌だ(心の声)
先生にね『痛くないですか?』って聞いたら『痛くないですよ』って即答。
『痛くないように して下さいね』な~んて 訳のわかんないこと言ってたら…
『そうだ!Cちゃんさんは抜糸なしだったんだ』って。
『はぁ?抜糸なしって どういうことですか?』
『Cちゃんさんは ボンドだから 抜糸ないんだった』ってさ。
ボンド? なんじゃそれ?
そんなので くっつけただけで大丈夫なの?
先生 曰く…
もちろん大丈夫なんだそう(当たり前)
内側は溶ける糸で縫ってて 外側はボンドなんだって。
大抵の人は医療用のホッチキスで(今は糸でなく ほとんどが このホッチキス)止めてるから その針を この日に取るんだけど Cはボンドだから その必要はなしとのこと。
どうやらCは 抜糸で若干の血が出たりするのが良くないらしく(SLEで服用の薬で血をサラサラにする薬があるってのと 免疫力が低下してるから 抜糸のちょこっとの傷からばい菌が入ったりする可能性があるからだって)ボンドのみってことになってるらしい。
そうそう。 手術してくれた いつも(ここ10年の主治医)みてくれてる先生と 入院中毎日 傷をチェックしてくれてる先生とは別だったんです。
主治医の先生は 術後翌日と その次の日は 傷を見てくれたけど それ以降は 傷は見ず声かけだけでした。
だから この日 抜糸に来てくれた先生と手術してくれた先生が違うから 大抵の人は抜糸するから 先生も そのつもりで話してたんだろね。
ってか… すごいね。今の医療って。
ボンドだよ?ボンド。 それで くっつけるだけで 傷が くっつくんだよ?すごくない?
そんなこんなで 憂鬱で怖かった抜糸がCは無く ラッキー☆
その後 お風呂(シャワー)の予約入れてたから シャワーして 帰ってきたら 昼ごはんで…
抜糸が怖くて緊張してたのか? シャワーでスッキリして気持ちよくなったのか? ごはん食べて満腹になったせいなのか?
きっと その全てが重なったから 急に眠くなっちゃって(笑)
その後 2時間ほど爆睡しちゃった。
起きてテレビ見たり 本読んだり。
そうそう。
今回の入院は 友人達に お見舞いは来なくていいよってか来ないでねって言ってありました。
今までの入院は かなり長期だし どこが痛いだとかってのも無いから 暇だから来て来て~って感じだったんですが 今回は手術だったし SLE持ちだから術後どうなっちゃうかわかんなかったからね。
家族以外のお見舞いは辞退しました。
気持ちだけで充分ってこと。 その代わり 退院したら ごはん作って持ってきてぇ~(笑)って言ってありました。
だからね 退院後 ごはん作って持ってきてくれました。有難やぁ~!!
入院9日目(術後7日目)
朝 昼 夜に看護師さんが来て いつものチェック。
注射1回。(アリクストラ皮下注2.5㎎→血栓の形成をおさえ 静脈血栓症の発症予防)
先生が来て 傷チェック。
それ以外は 何もなく 日に日に痛みも和らぎ もう背筋を伸ばして シャキシャキ歩けてました。
って言っても… 歩くのは遅いですがね。
そうそう。この日 売店に水を買いに行ったのね。
500mlを2本。ってことは1ℓ。
その水が…
持てなかったの(涙)
持てなかったってか 持てるんだけど 持って歩いてるうちに傷に響いて痛くって。
たった1ℓの水を持ち歩くのが出来ないだなんて この時 初めて知った。
普段 全然 気付かなかったけど 腹筋って知らない間に使ってるのね。
水を2本持ってレジへ行った時には何も感じなかったのにな~。
その時に気付いてたら1本しか買わなかったのにな。
この時ね こりゃ いつになったら グーとソーの お散歩に自分1人で行けんだろ?って不安になった。
こんなもんも持てないのに この仔達に引っ張られたら… 無理 無理~!!
気持ちは回復に向かってるけど 身体は まだまだ無理がきかないんだなって思いました。
まぁね 切腹してんだもんね。切腹して1週間じゃ 仕方ないかと気を取り直し 何度か休憩しながら ペットボトル2本を病室まで持って帰りました。
今日は文字だけ~。
最後までお付き合いしてくださった方 どうもありがとです!
それではみなさま お天気が不安定ですが楽しい週末を お過ごしくださいね。
我が家は本日 旦那はお仕事で 明日は サツマイモの苗を植えるボランティアなんで 予定は な~んんも無し。
まったり母子家庭で過ごしま~す(笑)
※ 今回の入院中のことを何回かにわけて綴ってますが 書いてから(UPしてから)書き忘れてたことを思い出してることも多々ありまして(汗) 追記していっております。 よろしくです。
今日は久しぶりに入院時のことを。
実は… 忘れておりました(汗)
記録として残しておこうと思って書いてたのに すっかり頭の中から消えておりました。
あぁ ちゃんと思い出せるのか?
入院8日目 術後6日目
朝 昼 夜の1日3回 看護師さんが来て 検温 血圧 そして傷のチェック。
注射1回。(アリクストラ皮下注2.5㎎→血栓の形成をおさえ 静脈血栓症の発症予防)
そして この日は 予定表には 抜糸の日ってことになってた。
だからね ちょっと憂鬱だったの。
若かりし頃 太ももに デキモノができて それが どんどん大きくなってきてね 病院へ行ったら…
どうやら良性の腫瘍(ようは脂肪の塊)。
けど 大きくなってくタイプのモノだったようで切除することに。
日帰りで部分麻酔で取ることに。
この時の抜糸がね 痛かったの(涙)
血も出たし 麻酔してくれってぐらい痛かったの。
けど どうやら そうなっちゃった原因はCにあったみたいなんだけどね。
この時 どうしても仕事が休める状況でなく(飲食業での立ち仕事) そのデキモノを取った その日の午後から 仕事してたのね。
若いって どうして こんな無謀なことできるんだろ?
今なら 何が何でも休むのにね。 せめて 当日と翌日ぐらいは休むはず。
なのに あの頃にCは これぐらい たいしたことないって思ってね 仕事してたの。
だから 糸が肉にめり込んじゃって(涙) 動かしすぎたようなんです。
そんな過去の経験があるからさ 抜糸が恐怖で(汗)
昼前に先生が来て(傷のチェック)
『いい感じに治ってきてますね。じゃぁ 予定ど~り今日は抜糸しましょう』
ぎゃぁ~!ついにきた。 あぁ嫌だ(心の声)
先生にね『痛くないですか?』って聞いたら『痛くないですよ』って即答。
『痛くないように して下さいね』な~んて 訳のわかんないこと言ってたら…
『そうだ!Cちゃんさんは抜糸なしだったんだ』って。
『はぁ?抜糸なしって どういうことですか?』
『Cちゃんさんは ボンドだから 抜糸ないんだった』ってさ。
ボンド? なんじゃそれ?
そんなので くっつけただけで大丈夫なの?
先生 曰く…
もちろん大丈夫なんだそう(当たり前)
内側は溶ける糸で縫ってて 外側はボンドなんだって。
大抵の人は医療用のホッチキスで(今は糸でなく ほとんどが このホッチキス)止めてるから その針を この日に取るんだけど Cはボンドだから その必要はなしとのこと。
どうやらCは 抜糸で若干の血が出たりするのが良くないらしく(SLEで服用の薬で血をサラサラにする薬があるってのと 免疫力が低下してるから 抜糸のちょこっとの傷からばい菌が入ったりする可能性があるからだって)ボンドのみってことになってるらしい。
そうそう。 手術してくれた いつも(ここ10年の主治医)みてくれてる先生と 入院中毎日 傷をチェックしてくれてる先生とは別だったんです。
主治医の先生は 術後翌日と その次の日は 傷を見てくれたけど それ以降は 傷は見ず声かけだけでした。
だから この日 抜糸に来てくれた先生と手術してくれた先生が違うから 大抵の人は抜糸するから 先生も そのつもりで話してたんだろね。
ってか… すごいね。今の医療って。
ボンドだよ?ボンド。 それで くっつけるだけで 傷が くっつくんだよ?すごくない?
そんなこんなで 憂鬱で怖かった抜糸がCは無く ラッキー☆
その後 お風呂(シャワー)の予約入れてたから シャワーして 帰ってきたら 昼ごはんで…
抜糸が怖くて緊張してたのか? シャワーでスッキリして気持ちよくなったのか? ごはん食べて満腹になったせいなのか?
きっと その全てが重なったから 急に眠くなっちゃって(笑)
その後 2時間ほど爆睡しちゃった。
起きてテレビ見たり 本読んだり。
そうそう。
今回の入院は 友人達に お見舞いは来なくていいよってか来ないでねって言ってありました。
今までの入院は かなり長期だし どこが痛いだとかってのも無いから 暇だから来て来て~って感じだったんですが 今回は手術だったし SLE持ちだから術後どうなっちゃうかわかんなかったからね。
家族以外のお見舞いは辞退しました。
気持ちだけで充分ってこと。 その代わり 退院したら ごはん作って持ってきてぇ~(笑)って言ってありました。
だからね 退院後 ごはん作って持ってきてくれました。有難やぁ~!!
入院9日目(術後7日目)
朝 昼 夜に看護師さんが来て いつものチェック。
注射1回。(アリクストラ皮下注2.5㎎→血栓の形成をおさえ 静脈血栓症の発症予防)
先生が来て 傷チェック。
それ以外は 何もなく 日に日に痛みも和らぎ もう背筋を伸ばして シャキシャキ歩けてました。
って言っても… 歩くのは遅いですがね。
そうそう。この日 売店に水を買いに行ったのね。
500mlを2本。ってことは1ℓ。
その水が…
持てなかったの(涙)
持てなかったってか 持てるんだけど 持って歩いてるうちに傷に響いて痛くって。
たった1ℓの水を持ち歩くのが出来ないだなんて この時 初めて知った。
普段 全然 気付かなかったけど 腹筋って知らない間に使ってるのね。
水を2本持ってレジへ行った時には何も感じなかったのにな~。
その時に気付いてたら1本しか買わなかったのにな。
この時ね こりゃ いつになったら グーとソーの お散歩に自分1人で行けんだろ?って不安になった。
こんなもんも持てないのに この仔達に引っ張られたら… 無理 無理~!!
気持ちは回復に向かってるけど 身体は まだまだ無理がきかないんだなって思いました。
まぁね 切腹してんだもんね。切腹して1週間じゃ 仕方ないかと気を取り直し 何度か休憩しながら ペットボトル2本を病室まで持って帰りました。
今日は文字だけ~。
最後までお付き合いしてくださった方 どうもありがとです!
それではみなさま お天気が不安定ですが楽しい週末を お過ごしくださいね。
我が家は本日 旦那はお仕事で 明日は サツマイモの苗を植えるボランティアなんで 予定は な~んんも無し。
まったり母子家庭で過ごしま~す(笑)
※ 今回の入院中のことを何回かにわけて綴ってますが 書いてから(UPしてから)書き忘れてたことを思い出してることも多々ありまして(汗) 追記していっております。 よろしくです。
2014年05月28日
入院6日目・7日目(SLE持ち 子宮全摘手術)
おはようございます。
今日は しばらく放置してた入院中のことを。
術後4日目・5日目のことを書いていきますね。
繋がれっぱなしだった点滴が外れ(しっこの管も外れ) 自由になった。
自由になったけど 痛いから いつもど~りには動けない。
この日から 飲み薬が開始。
そして 普段 服用してた飲み薬も全て再開になりました。
この日から服用になった お薬は
マグミット錠330mg 便を出しやすくする薬
セフカペンピボキシル塩酸塩錠100g「トーワ」 細菌の増殖を抑制し感染を治療する薬
ビオスリー配合錠 腸の調子を整える薬
そして 通常服用してた お薬
メドロール3錠 乳酸カルシウム ニューロタン錠50mg イムラン錠50mg1.5錠 バファリン配合錠A81 マックメット ベザトールSR錠200㎎ ペルサンチンLカプセル150㎎ ガスメット20mg
そして お昼過ぎ~夕方の間に1回 注射でアリクストラ皮下注2.5mgをうちます。
これが 痛いのよね~(涙)
液が入ってくる時 きゅ~んって感じで 痛かった。
入院6日目(術後4日目)になると全粥食になり

朝はレーズンパンでしたよ。
昼食

夕食

傷の痛みも どんどん和らいできて 歩くのも 少しは早くなったかな?

テレビが友達(笑)だったんですが 番組選びは要注意。
笑うと傷に響いて痛いのよね。
そうそう。この日から これも始めたよ!

ぷぷっ(笑)
何してるか わかりますか?
シートパックしております。
病院ってね すっごく空気が乾燥してるの。
これは 以前 何度も入院してて 知ってるからね。
だから 入院グッズの中にシートパックを入れてたの。
お肌のお手入れは 入院してても しなくっちゃね~(笑)
って… こんなことが出来るってか こんなことを しようってぐらい回復したってことですね。

もちろんカーテンは閉めて。
ただ この時 看護師さん来なきゃいいのになって 思ってた。
何やってんだ?って 思われちゃいますもんね。
そうそう。Cが着てるパジャマですが… 今回 病院のレンタルを利用しました。
これ便利です。
バスタオルとハンドタオルもセットになってて 荷物も少なくて済みましたし 自分で洗濯しなくていいしね(ってか 今まで 入院時は実母が洗濯持って帰ってくれてたんですが)
朝 昼 夕 夜と看護師さんが来て 傷チェックと検温と血圧はかって それから便は出たかだとか 尿の回数と量のチェック。
そして 大抵 午前中に先生が傷のチェックに来てくれました。
この日… 頭が痒くて(涙)
若干 発熱してたせいか? 汗かいたから 匂いも気になるし…
看護師さんに 頭だけ洗ってもいいか聞いてみたの。
シャワーは術後5日目で傷の治り具合を診て開始できるって 手術の予定表に書いてたのね。
まだ この日は4日目だから シャワーは無理。
けど 頭ぐらいなら 洗ってもいいはず。
術後2日目に 看護師さんが洗ってくれたから 洗ってもいいはずだけど きっと看護師さんには洗ってもらえないんだろな。
なら自分で洗うよ~って思ってね。
先生に聞いたら…
傷の治り具合が良いから 今日からシャワーしていいですよ~って。
やった~! って思ったんだけど 今度は ちょっと不安になっちゃった。
傷 濡れても いけんの?
泡も飛ぶけど いけんの?
そんな不安を先生に聞いたら
濡れても大丈夫。
傷は こすらないで下さいね。
傷の場所は 泡立てて その泡で力を入れずに洗って下さいね。
よく 泡を流して下さいね。
シャワー後 ゆっくり傷を おさえるように水分を拭いて下さいね。
とのことでした。
そして いざ お風呂へ。
傷のチェックは術後 毎日何度もしてもらってるんですが なんせCは横になって 上向きに寝てますので 傷の部分が見えないのよね。
このシャワーの時 初めて まじまじと傷を見たの。
傷の所にはテープが貼ってあって 直接は見えないんだけど(一部分 見えてるとこもある) 想像してたより ばっくり切られてた。
おへその下から 恥部まで。
傷は そぉ~っと洗って 頭はゴシゴシ洗って…
傷に貼ってるテープが しめったまんまだけど このまま 腹帯巻いて パンツはいていいのかな?
って思ったけど ここで 何もできないから(脱衣所) とにかく きれににふいて 病室へ。
少ししたら看護師さんが来てくれたので そのことを聞いてみると そのままで良いらしい。
このテープは 自然に剥がれるまで このままなんだそう。
なんだか不衛生な気がするけど これでいいんだってさ。
だからね 術後 消毒ってなことは1度もなし。
これもビックjリ!
傷は消毒するもんだと思ってたけど 違うんだね。
入院7日目(術後5日目)は やっとこさ普通食になりました。
しかし Cは腎臓病食(涙)
朝食

昼食

夕食

ごはん てんこ盛りに おかずは 少量。
あぁ 物足りない。
普段 家では間逆な食事ですからね。 おかず大量(笑)
けど こんな食事がホントは身体に いいんだろうな。
術後5日目も 4日目と ほぼ同じ感じで1日は過ぎていきました。
痛みはね ホント 日々 ましになってくるんです。
腰を曲げなきゃ 傷が痛く ノロノロしか歩けなかったのに どんどん背筋ものばして歩けるようになり 歩く速度も どんどん速くなるんですよね。 先生にも看護師さんにも どんどん歩くように 言われました。
動いたほうが血液の循環が良くなるから 動いてたほうが良いんだって。
売店行ったり 院内図書に本を見にいったり 知り合いになった人の病室へ行ったり…
行動範囲が どんどん増えていきました。
そうそう!この日 お部屋が変わりました。
入院当日から この日まで ナースステーションの斜め前の部屋だったんですが この日の昼過ぎに お部屋移動になって 病棟の1番奥のお部屋になりました。 これがね… お湯を入れにいくにも 売店へ行くにも 遠くなっちゃって…
けど 運動しろってことなんでしょうね。
SLEでの入院の時も そうだったけど ナースステーションから近い部屋ほど重症患者です。
遠くなるほど 軽いってこと。
そりゃそうだよね。 1日に何度も様子を見に行かなきゃなんない患者を遠くの部屋へ 毎回行くのは それだけでも時間のロスだもんね。
こうして順調に回復してくCでした。
今日も訪問ありがとです!!
今日は しばらく放置してた入院中のことを。
術後4日目・5日目のことを書いていきますね。
繋がれっぱなしだった点滴が外れ(しっこの管も外れ) 自由になった。
自由になったけど 痛いから いつもど~りには動けない。
この日から 飲み薬が開始。
そして 普段 服用してた飲み薬も全て再開になりました。
この日から服用になった お薬は
マグミット錠330mg 便を出しやすくする薬
セフカペンピボキシル塩酸塩錠100g「トーワ」 細菌の増殖を抑制し感染を治療する薬
ビオスリー配合錠 腸の調子を整える薬
そして 通常服用してた お薬
メドロール3錠 乳酸カルシウム ニューロタン錠50mg イムラン錠50mg1.5錠 バファリン配合錠A81 マックメット ベザトールSR錠200㎎ ペルサンチンLカプセル150㎎ ガスメット20mg
そして お昼過ぎ~夕方の間に1回 注射でアリクストラ皮下注2.5mgをうちます。
これが 痛いのよね~(涙)
液が入ってくる時 きゅ~んって感じで 痛かった。
入院6日目(術後4日目)になると全粥食になり

朝はレーズンパンでしたよ。
昼食

夕食

傷の痛みも どんどん和らいできて 歩くのも 少しは早くなったかな?

テレビが友達(笑)だったんですが 番組選びは要注意。
笑うと傷に響いて痛いのよね。
そうそう。この日から これも始めたよ!

ぷぷっ(笑)
何してるか わかりますか?
シートパックしております。
病院ってね すっごく空気が乾燥してるの。
これは 以前 何度も入院してて 知ってるからね。
だから 入院グッズの中にシートパックを入れてたの。
お肌のお手入れは 入院してても しなくっちゃね~(笑)
って… こんなことが出来るってか こんなことを しようってぐらい回復したってことですね。

もちろんカーテンは閉めて。
ただ この時 看護師さん来なきゃいいのになって 思ってた。
何やってんだ?って 思われちゃいますもんね。
そうそう。Cが着てるパジャマですが… 今回 病院のレンタルを利用しました。
これ便利です。
バスタオルとハンドタオルもセットになってて 荷物も少なくて済みましたし 自分で洗濯しなくていいしね(ってか 今まで 入院時は実母が洗濯持って帰ってくれてたんですが)
朝 昼 夕 夜と看護師さんが来て 傷チェックと検温と血圧はかって それから便は出たかだとか 尿の回数と量のチェック。
そして 大抵 午前中に先生が傷のチェックに来てくれました。
この日… 頭が痒くて(涙)
若干 発熱してたせいか? 汗かいたから 匂いも気になるし…
看護師さんに 頭だけ洗ってもいいか聞いてみたの。
シャワーは術後5日目で傷の治り具合を診て開始できるって 手術の予定表に書いてたのね。
まだ この日は4日目だから シャワーは無理。
けど 頭ぐらいなら 洗ってもいいはず。
術後2日目に 看護師さんが洗ってくれたから 洗ってもいいはずだけど きっと看護師さんには洗ってもらえないんだろな。
なら自分で洗うよ~って思ってね。
先生に聞いたら…
傷の治り具合が良いから 今日からシャワーしていいですよ~って。
やった~! って思ったんだけど 今度は ちょっと不安になっちゃった。
傷 濡れても いけんの?
泡も飛ぶけど いけんの?
そんな不安を先生に聞いたら
濡れても大丈夫。
傷は こすらないで下さいね。
傷の場所は 泡立てて その泡で力を入れずに洗って下さいね。
よく 泡を流して下さいね。
シャワー後 ゆっくり傷を おさえるように水分を拭いて下さいね。
とのことでした。
そして いざ お風呂へ。
傷のチェックは術後 毎日何度もしてもらってるんですが なんせCは横になって 上向きに寝てますので 傷の部分が見えないのよね。
このシャワーの時 初めて まじまじと傷を見たの。
傷の所にはテープが貼ってあって 直接は見えないんだけど(一部分 見えてるとこもある) 想像してたより ばっくり切られてた。
おへその下から 恥部まで。
傷は そぉ~っと洗って 頭はゴシゴシ洗って…
傷に貼ってるテープが しめったまんまだけど このまま 腹帯巻いて パンツはいていいのかな?
って思ったけど ここで 何もできないから(脱衣所) とにかく きれににふいて 病室へ。
少ししたら看護師さんが来てくれたので そのことを聞いてみると そのままで良いらしい。
このテープは 自然に剥がれるまで このままなんだそう。
なんだか不衛生な気がするけど これでいいんだってさ。
だからね 術後 消毒ってなことは1度もなし。
これもビックjリ!
傷は消毒するもんだと思ってたけど 違うんだね。
入院7日目(術後5日目)は やっとこさ普通食になりました。
しかし Cは腎臓病食(涙)
朝食

昼食

夕食

ごはん てんこ盛りに おかずは 少量。
あぁ 物足りない。
普段 家では間逆な食事ですからね。 おかず大量(笑)
けど こんな食事がホントは身体に いいんだろうな。
術後5日目も 4日目と ほぼ同じ感じで1日は過ぎていきました。
痛みはね ホント 日々 ましになってくるんです。
腰を曲げなきゃ 傷が痛く ノロノロしか歩けなかったのに どんどん背筋ものばして歩けるようになり 歩く速度も どんどん速くなるんですよね。 先生にも看護師さんにも どんどん歩くように 言われました。
動いたほうが血液の循環が良くなるから 動いてたほうが良いんだって。
売店行ったり 院内図書に本を見にいったり 知り合いになった人の病室へ行ったり…
行動範囲が どんどん増えていきました。
そうそう!この日 お部屋が変わりました。
入院当日から この日まで ナースステーションの斜め前の部屋だったんですが この日の昼過ぎに お部屋移動になって 病棟の1番奥のお部屋になりました。 これがね… お湯を入れにいくにも 売店へ行くにも 遠くなっちゃって…
けど 運動しろってことなんでしょうね。
SLEでの入院の時も そうだったけど ナースステーションから近い部屋ほど重症患者です。
遠くなるほど 軽いってこと。
そりゃそうだよね。 1日に何度も様子を見に行かなきゃなんない患者を遠くの部屋へ 毎回行くのは それだけでも時間のロスだもんね。
こうして順調に回復してくCでした。
今日も訪問ありがとです!!
2014年05月19日
入院4日目・5日目(SLE持ち 子宮全摘手術)
おはようございます。
さて今週から… ボチボチ元ど~りの生活が出来るよう 誰の手助けも無しで がんばろうと思ってます。
お弁当も(旦那と従業員の)今日から開始!
先週から おにぎりだけのお弁当は開始してたんですが 今日からは おかずも ちゃ~んと作りました。
本日で術後25日 退院後15日でございます。
今日は 術後2日目と3日目のことを。
前夜… 眠れず長い夜を過ごした訳ですが 日中に寝てばっかりだったので仕方ない。
朝 看護師さんが来て それで目覚めた。
検温と血圧測定と酸素濃度の測定(この酸素濃度の測定は術後1日目もあったけど書くの忘れてました)
前日38度ちょっとあった熱ですが この日は37度8分若干ですが下がってました。
引き続きアイスノンを。
そうそう。
術後 翌日に血栓防止の為に足に機械を付けて圧がかかる装置があるんですが…
術後 それを装着されてたらしいけど いつの間にか 撤去されてた。
Cの記憶には まったく ございません。 その間 ず~っと ウトウトと寝てたんだと思います。
術後2日目になると 痛みは まだ かなりあるものの 前日に比べりゃ かなりましになってました。
まだ点滴は繋がれたまんま。硬膜外麻酔も繋がったまんま。おしっこの管も繋がったまんまです。
看護師さんに『ガスは出ましたか?』って聞かれて…
『出てません』って答えた。
たぶん出てない。(寝屁してたら気付いてないかも 笑)
ってか… 入院してたのは4人部屋。 そのうち1つが空いてて 3人が入院してる。
おならなんて人前で できないわよ~。 って言ったって 立ち上がってトイレに行ける状態じゃないから ここでするしか ないんだけどね。
でも 出てないな~。
ってか… 出てなきゃ 何も食べたり飲んだりしちゃいけないんじゃないの?
昨日 ジュースは飲んじゃってるんですが…
まぁ 良かったのかな? なんともなかったしね。
看護師さんだって 出てないって言っても『そうですか~。まだなんですね~』って言ってただけだし。
その後 朝ごはん。
またしても無理矢理 上半身を起こされて(涙)
しかし この時 前日よりは ましになってたけど(痛み) まだ かなり痛かった。
ごはんの お写真 撮りたかったけど携帯を取るのが(手をのばすのが)痛かったんで断念。
食後 また看護師さんが来て 色々チェック。
その後 先生も来て またチェック。
なんやら かんたらと先生や看護師さんが入れ替わり立ち代り来て傷のチェックをしてました。
そうこうしてたら 看護師さんが『今日は必ず立ちましょうね~』って言ってきて…
あぁ。また痛いだろうな。嫌だなって思ったけど 仕方ない。
イタタタタ…って言いながら立つ。
立てた~! そして数歩歩いてみる。
歩けた~!
って言っても ヨボヨボ。 痛いから前かがみだし ソロソロっと めちゃくちゃ ゆっくりしか歩けない。
だって 痛いんだもん。
そうこうしてたら昼食。
やっとこさ携帯を手に取り お写真撮ってみました。



3分粥食。 ドロドロ ベタベタです。
けどねメニューが書いてある。
魚の煮付け 菜っ葉。原型は どこにもない。
興味でね 少し口にしてみたけど… ダメだった。 ムースみたいな辺な食感。
まったく食欲がわいてこない。
お味噌汁と桃の缶詰をミキサーにかけたような物があったので それだけ食べた。
食後1時間ほどして… また 看護師さんが来ていつものチェック(検温 血圧 酸素濃度 傷のチェック)
その後 また立って歩こうって言う。
痛いから嫌なんだけどな~。
けど看護師さんが 歩かなきゃダメって言うから…
室内をノロノロ歩行。
そしたら看護師さんが 『尿の管を抜きましょう』って。
ってことは この先は歩いてトイレに行かなきゃなんないってこと。
え~っ! まだ こんなに痛いのに。 こうなったら水分 あんまり取っちゃダメだわ。
なるべくトイレに行かないようにしなくっちゃ!な~んて単純に考えてた。
そして管を抜いてもらい… しばらくしたら尿意が(涙)
何も飲んでないのに なんで?
そうだった。点滴してたんだった。点滴から水分バンバン入ってんだった。
尿意を感じてからトイレに行くまでに かなり時間がかかっちゃうの。
まずベッドで起き上がるのにも一苦労。 痛いのよ。
それからトイレまで歩くんだけど Cは窓側のベッドだったんでトイレから距離があるのね。
ヨボヨボ歩いて 下着を下げて… まぁ たった こんだけのことに時間が かかる かかる。
ちびっちゃうかと思ったわよ(汗)
今だから こんな風に笑い話みたく書いてるけど この時は必死でした。
まさか この歳になって ちびる訳には いかないでしょ?
そうそう。 この時 出ましたよ!
何がって? 屁です。屁(笑) よかった~。
家でも そうなんですが トイレ以外の場所で しかも人がいる時に屁なんて出ない。
ってか… しちゃダメでしょ?
私Cちゃん。結婚して10年ですが 旦那の前でも したことありません。
(思わず出ちゃったこと 数回あるけどね 笑)
けど旦那は聞こえないふりしてくれてます。もしかしたらホントに聞こえてないのかも?
おならってCにとっては恥ずかしいことなの。どこでも していいもんじゃない。
旦那は 所構わず 食事中でも たま~にしてますけどね。
って… こんな話は ど~でもいいね。
今度は先生が来て…
硬膜外麻酔の中身の補充をしてくれました。
痛かったら どんどん押してくださいね~ってさ。押しますとも(笑) 押して 押して 押しまくるわよ~!
だって痛いの嫌だもん。
でも 押しまくっても 出る量は決まってるみたいだから 数時間に1回しか身体の中には入っていかないんだけどね。
でね 何も飲まなくても点滴してるから どうせトイレに行かなきゃなんないんなら…
飲んじゃえ!って思ってね とにかくCはコーヒー中毒。
コーヒーが飲みたくて 飲みたくて。
インスタントのコーヒーを入院時 持参してました。
で 先生にコーヒー飲んでいいか聞いたら いいとのこと。
やったぁ~!!
が… しかし…
コーヒー飲むには お湯を入れてこなきゃなんない。
お湯は 病室を出て 25mほど歩いた場所にある。
点滴ぶら下げて ヨタヨタの状態でお湯を入れにいけるのか?
けど どうしてもコーヒー飲みたい。
飲みたいと思ったら もう頭の中はコーヒーのことで いっぱい(笑)単純な奴です。
ついさっきまでトイレに行くのも億劫がって痛いから行きたくなかったのにコーヒーの為なら痛みも我慢して歩いてみようと思えるから不思議。こうなったら なんとかなるだろってことで病室を出発!
ヨタヨタと点滴ぶらさげながら歩き 無事 お湯を入れて病室へ戻る時 Cの病室はナースセンターの斜め前だったので 看護師さんが その姿を発見して『言ってくれたら お湯 入れにいったのに』って。
先に言ってよ~。
そんなことで呼んじゃいけないって思ってたんだもん。
けどね 結果的に この コーヒーが飲みたいって欲求のおかげでCは歩くことが出来たんですよね。

コーヒー飲んで ホッと一息ついてたら 看護師さんが身体を拭きにきてくれました。
そして その後 髪を洗ってくれました。 スッキリして気持ちよかったです。
そうそう。尿の管をぬいてから 尿量をはかることになりました。
トイレに軽量カップを置かれ その都度 はかります。 そしてチェックシートに出た量を書く。
夜ごはんも 昼と良く似たもので 食欲わかず(涙)
夜に実父母が来て この時は 面会室まで歩いていって そこで少しお喋りしました。
前日と全然違うと父母が言ってました。(元気がね)
夜 看護師さんが来て 色々といつものチェックして 就寝。
この日も寝る前に座薬の痛み止めを入れてもらいました。 朝までよく眠れました。
翌日 術後3日目…
ほぼ2日目と変わらずな生活。
朝ごはん

昼ごはん

夜ごはん

お粥は5分粥になって おかずも原型をとどめてる物になりました。
柔らかく煮てありましたけどね。
お粥がベドベトで 苦手だったから残したけど おかずは 全部 この日は食べました。
この日も先生が3回ほど来てくれて傷を診てくれて…
その時 すごく傷が綺麗ですって誉めてくれた。 順調とのことでした。
腫れも ほぼ引いてるとのことでした。
痛みも 日にち薬で 前日に比べると また かなり ましになってきてました。
実は この日 看護師さんが 売店へ行ってもいいですよ~って言ってくれたので売店に行きました。
主食(お粥)を食べてないC。
それを知ってるから お腹に優しい 柔らかいものなら食べていいですよ~って。
だからねプリンとゼリーとアイスを買って食べました。
ってか… やっぱ Cってば食べるのが好き。
食欲が無かったのは術後翌日 たったの1日だけでした(笑)
そして この日は点滴が1日中ではなく 朝と晩の2回になりました。
点滴ぶら下げてる時はベッドで寝てましたが それ以外は外せたので歩くの楽になるだろな~って思ってたんですが…
違った。
点滴ぶら下げてるほうがね その点滴をぶら下げてる棒に 寄りかかりながら歩けたから楽だったんですよね。
自分の足だけで歩くと… 当たり前だけど自分の体重を自分の足だけで支えなきゃなんない訳で…
ちょっと(いや… かなり痛かった)
夜に 看護師さんが来て 順調なんで点滴は 今日で終了とのこと。
翌日からは飲み薬になるっていう説明がありました。後 注射もあるって言ってました。
またしても夜に父母が来てくれて 喋ってました。
順調すぎるほど 順調に 回復していってました。
下からの出血は ありました。
歩くのも ノロノロで腰まげて歩いてる状態でした。
それでも 食べたい欲求で売店まで歩いて行った自分に笑ってしまいます。
今日は ここまで~!!
今日も訪問ありがとです。
さて今週から… ボチボチ元ど~りの生活が出来るよう 誰の手助けも無しで がんばろうと思ってます。
お弁当も(旦那と従業員の)今日から開始!
先週から おにぎりだけのお弁当は開始してたんですが 今日からは おかずも ちゃ~んと作りました。
本日で術後25日 退院後15日でございます。
今日は 術後2日目と3日目のことを。
前夜… 眠れず長い夜を過ごした訳ですが 日中に寝てばっかりだったので仕方ない。
朝 看護師さんが来て それで目覚めた。
検温と血圧測定と酸素濃度の測定(この酸素濃度の測定は術後1日目もあったけど書くの忘れてました)
前日38度ちょっとあった熱ですが この日は37度8分若干ですが下がってました。
引き続きアイスノンを。
そうそう。
術後 翌日に血栓防止の為に足に機械を付けて圧がかかる装置があるんですが…
術後 それを装着されてたらしいけど いつの間にか 撤去されてた。
Cの記憶には まったく ございません。 その間 ず~っと ウトウトと寝てたんだと思います。
術後2日目になると 痛みは まだ かなりあるものの 前日に比べりゃ かなりましになってました。
まだ点滴は繋がれたまんま。硬膜外麻酔も繋がったまんま。おしっこの管も繋がったまんまです。
看護師さんに『ガスは出ましたか?』って聞かれて…
『出てません』って答えた。
たぶん出てない。(寝屁してたら気付いてないかも 笑)
ってか… 入院してたのは4人部屋。 そのうち1つが空いてて 3人が入院してる。
おならなんて人前で できないわよ~。 って言ったって 立ち上がってトイレに行ける状態じゃないから ここでするしか ないんだけどね。
でも 出てないな~。
ってか… 出てなきゃ 何も食べたり飲んだりしちゃいけないんじゃないの?
昨日 ジュースは飲んじゃってるんですが…
まぁ 良かったのかな? なんともなかったしね。
看護師さんだって 出てないって言っても『そうですか~。まだなんですね~』って言ってただけだし。
その後 朝ごはん。
またしても無理矢理 上半身を起こされて(涙)
しかし この時 前日よりは ましになってたけど(痛み) まだ かなり痛かった。
ごはんの お写真 撮りたかったけど携帯を取るのが(手をのばすのが)痛かったんで断念。
食後 また看護師さんが来て 色々チェック。
その後 先生も来て またチェック。
なんやら かんたらと先生や看護師さんが入れ替わり立ち代り来て傷のチェックをしてました。
そうこうしてたら 看護師さんが『今日は必ず立ちましょうね~』って言ってきて…
あぁ。また痛いだろうな。嫌だなって思ったけど 仕方ない。
イタタタタ…って言いながら立つ。
立てた~! そして数歩歩いてみる。
歩けた~!
って言っても ヨボヨボ。 痛いから前かがみだし ソロソロっと めちゃくちゃ ゆっくりしか歩けない。
だって 痛いんだもん。
そうこうしてたら昼食。
やっとこさ携帯を手に取り お写真撮ってみました。



3分粥食。 ドロドロ ベタベタです。
けどねメニューが書いてある。
魚の煮付け 菜っ葉。原型は どこにもない。
興味でね 少し口にしてみたけど… ダメだった。 ムースみたいな辺な食感。
まったく食欲がわいてこない。
お味噌汁と桃の缶詰をミキサーにかけたような物があったので それだけ食べた。
食後1時間ほどして… また 看護師さんが来ていつものチェック(検温 血圧 酸素濃度 傷のチェック)
その後 また立って歩こうって言う。
痛いから嫌なんだけどな~。
けど看護師さんが 歩かなきゃダメって言うから…
室内をノロノロ歩行。
そしたら看護師さんが 『尿の管を抜きましょう』って。
ってことは この先は歩いてトイレに行かなきゃなんないってこと。
え~っ! まだ こんなに痛いのに。 こうなったら水分 あんまり取っちゃダメだわ。
なるべくトイレに行かないようにしなくっちゃ!な~んて単純に考えてた。
そして管を抜いてもらい… しばらくしたら尿意が(涙)
何も飲んでないのに なんで?
そうだった。点滴してたんだった。点滴から水分バンバン入ってんだった。
尿意を感じてからトイレに行くまでに かなり時間がかかっちゃうの。
まずベッドで起き上がるのにも一苦労。 痛いのよ。
それからトイレまで歩くんだけど Cは窓側のベッドだったんでトイレから距離があるのね。
ヨボヨボ歩いて 下着を下げて… まぁ たった こんだけのことに時間が かかる かかる。
ちびっちゃうかと思ったわよ(汗)
今だから こんな風に笑い話みたく書いてるけど この時は必死でした。
まさか この歳になって ちびる訳には いかないでしょ?
そうそう。 この時 出ましたよ!
何がって? 屁です。屁(笑) よかった~。
家でも そうなんですが トイレ以外の場所で しかも人がいる時に屁なんて出ない。
ってか… しちゃダメでしょ?
私Cちゃん。結婚して10年ですが 旦那の前でも したことありません。
(思わず出ちゃったこと 数回あるけどね 笑)
けど旦那は聞こえないふりしてくれてます。もしかしたらホントに聞こえてないのかも?
おならってCにとっては恥ずかしいことなの。どこでも していいもんじゃない。
旦那は 所構わず 食事中でも たま~にしてますけどね。
って… こんな話は ど~でもいいね。
今度は先生が来て…
硬膜外麻酔の中身の補充をしてくれました。
痛かったら どんどん押してくださいね~ってさ。押しますとも(笑) 押して 押して 押しまくるわよ~!
だって痛いの嫌だもん。
でも 押しまくっても 出る量は決まってるみたいだから 数時間に1回しか身体の中には入っていかないんだけどね。
でね 何も飲まなくても点滴してるから どうせトイレに行かなきゃなんないんなら…
飲んじゃえ!って思ってね とにかくCはコーヒー中毒。
コーヒーが飲みたくて 飲みたくて。
インスタントのコーヒーを入院時 持参してました。
で 先生にコーヒー飲んでいいか聞いたら いいとのこと。
やったぁ~!!
が… しかし…
コーヒー飲むには お湯を入れてこなきゃなんない。
お湯は 病室を出て 25mほど歩いた場所にある。
点滴ぶら下げて ヨタヨタの状態でお湯を入れにいけるのか?
けど どうしてもコーヒー飲みたい。
飲みたいと思ったら もう頭の中はコーヒーのことで いっぱい(笑)単純な奴です。
ついさっきまでトイレに行くのも億劫がって痛いから行きたくなかったのにコーヒーの為なら痛みも我慢して歩いてみようと思えるから不思議。こうなったら なんとかなるだろってことで病室を出発!
ヨタヨタと点滴ぶらさげながら歩き 無事 お湯を入れて病室へ戻る時 Cの病室はナースセンターの斜め前だったので 看護師さんが その姿を発見して『言ってくれたら お湯 入れにいったのに』って。
先に言ってよ~。
そんなことで呼んじゃいけないって思ってたんだもん。
けどね 結果的に この コーヒーが飲みたいって欲求のおかげでCは歩くことが出来たんですよね。

コーヒー飲んで ホッと一息ついてたら 看護師さんが身体を拭きにきてくれました。
そして その後 髪を洗ってくれました。 スッキリして気持ちよかったです。
そうそう。尿の管をぬいてから 尿量をはかることになりました。
トイレに軽量カップを置かれ その都度 はかります。 そしてチェックシートに出た量を書く。
夜ごはんも 昼と良く似たもので 食欲わかず(涙)
夜に実父母が来て この時は 面会室まで歩いていって そこで少しお喋りしました。
前日と全然違うと父母が言ってました。(元気がね)
夜 看護師さんが来て 色々といつものチェックして 就寝。
この日も寝る前に座薬の痛み止めを入れてもらいました。 朝までよく眠れました。
翌日 術後3日目…
ほぼ2日目と変わらずな生活。
朝ごはん

昼ごはん

夜ごはん

お粥は5分粥になって おかずも原型をとどめてる物になりました。
柔らかく煮てありましたけどね。
お粥がベドベトで 苦手だったから残したけど おかずは 全部 この日は食べました。
この日も先生が3回ほど来てくれて傷を診てくれて…
その時 すごく傷が綺麗ですって誉めてくれた。 順調とのことでした。
腫れも ほぼ引いてるとのことでした。
痛みも 日にち薬で 前日に比べると また かなり ましになってきてました。
実は この日 看護師さんが 売店へ行ってもいいですよ~って言ってくれたので売店に行きました。
主食(お粥)を食べてないC。
それを知ってるから お腹に優しい 柔らかいものなら食べていいですよ~って。
だからねプリンとゼリーとアイスを買って食べました。
ってか… やっぱ Cってば食べるのが好き。
食欲が無かったのは術後翌日 たったの1日だけでした(笑)
そして この日は点滴が1日中ではなく 朝と晩の2回になりました。
点滴ぶら下げてる時はベッドで寝てましたが それ以外は外せたので歩くの楽になるだろな~って思ってたんですが…
違った。
点滴ぶら下げてるほうがね その点滴をぶら下げてる棒に 寄りかかりながら歩けたから楽だったんですよね。
自分の足だけで歩くと… 当たり前だけど自分の体重を自分の足だけで支えなきゃなんない訳で…
ちょっと(いや… かなり痛かった)
夜に 看護師さんが来て 順調なんで点滴は 今日で終了とのこと。
翌日からは飲み薬になるっていう説明がありました。後 注射もあるって言ってました。
またしても夜に父母が来てくれて 喋ってました。
順調すぎるほど 順調に 回復していってました。
下からの出血は ありました。
歩くのも ノロノロで腰まげて歩いてる状態でした。
それでも 食べたい欲求で売店まで歩いて行った自分に笑ってしまいます。
今日は ここまで~!!
今日も訪問ありがとです。
2014年05月17日
入院3日目・術後翌日(SLE持ち 子宮全摘手術)
おはようございます。
昨日 退院した日のこと書いたけど今日は また入院中のことを。
前後めちゃくちゃでスイマセン。
入院中のことは思い出しながらってのと使った薬剤を調べながらの作業になるから(資料を病院に貰いました)時間が かかっちゃて。
気合入れて更新しなきゃなんないので…
連続して更新できずスイマセン。
今日は手術の翌日のことを。
いったい 何時まで寝てたのか不明。
看護師さんが来て 何やら話しかけられたんだけど 眠くて眠くて。
その後 先生も来てたような…
けど これまた眠くて眠くて 何してたのか?何を言ってたのか不明。
また眠りについて 次はお水を飲みますか?って。
ちょっと起き上がってみましょうねってことで 起き上がろうとするんだけど この時 お腹に激痛が!
『痛い! 痛いよぉ~! 起き上がれません。起き上がりたくない!』
な~んて子供のだだっこのようなこと言って起き上がることを拒否。
『やっぱり お水いりません。喉かわいてません』←ホントは喉カラッカラだった(笑)
けど 痛いのと喉かわいてんのと どっちを取るかと言われたら… 痛いほうが勝っちゃって。
しかし… 起き上がらなきゃダメだと言われ(涙)
無理矢理 起き上がらせられる。
ベッドについてる 上半身が起き上がれるようになってる装置を動かされ強制的に起き上がらせられたんだけど…
『痛い 痛い 痛い 痛い 痛い …』
だって痛いんだもん。
そっとしておいてほしかった。口は乾いてたけど 水分は点滴から入ってきてるから身体的には飲まなくても大丈夫なこと わかってたしね。
けど そんな訳にもいかないんだって。
癒着防止で 術後は 早いうちに 動かなきゃなんないんだそう。
けどさ 前日の昼に切腹したとこなんだよ。腹切りしてんのに 切って24時間も経ってないのに もう動くの?
そう言えば 手術前に 予定表みたいなのをくれてて そこに書いてあったような…
翌日 ベッドの上に座ることから始めますってなこと。
けどさ こんなの拷問だわ(涙)
痛みって 人によって感じ方が違うから 同じ手術した人は どうなのか わかんないけど Cにとっては この日の この時の痛みはホント痛かった。 この先 一生 この痛みは感じたくないって感じ。
そうそう。 この痛みと 手術前日に飲まされたマグコロールのまずさは できれば2度と経験したくないです。
それからね せっかく起き上がったんだから お水 飲んだわよ。
でね 起き上がったら 次は また寝転ぶんだけど… これまた痛いの。
とにかく ちょっと動いただけで 痛くて 痛くて。
なんとかまた寝る姿勢に戻ったら 看護師さんが言うのよ。
『どんどん寝返りを うってくださいね。自分で無理ならナースコールで いつでも呼んで下さいね。お手伝いしますから』って。
『お水 ここに 置いておきますから またいつでも飲んで下さいね~』って。
『ありがとうございます』って口では言ったけどさ
心の中でね 言葉には出してないですよ。『誰が水なんて飲むか! こんな痛い思いしてまで水なんて飲みたくないわよ!』って毒づいてました(笑)
この時 かなり痛がるCに 看護師さんが硬膜外麻酔をプッシュ。
そしたら 背中(腰のあたり?)に何やら冷たいヒヤッとした感覚が。
術中から 繋がれたまんまの管があって 手元にプッシュするボタン?みたいなのがついてるの。
これが邪魔で 邪魔で。
その後 検温と血圧測定。 熱が38、2℃。 熱あるじゃない。
アイスノンもってきてくれました。
硬膜外麻酔とアイスノンのおかげでけど しばらくすると痛みがましになり 快適になって またウトウトしはじめた。
どのぐらいの時間が過ぎたのか不明だけど その後 先生が来て 傷をチェック。
これがね… ビックリするほど痛くて(涙) どうしてだかわかんないんだけど傷の場所じゃなく その横が痛くて痛くて。
原因不明。 傷があるのは ちょうど おへその下から20センチほどなんだけど 傷の無い場所が痛いだなんて。
先生もね 起き上がったり 寝返りをどんどんうってねって言うんだけど… 無理っす(汗)
この後 術後 初めての ごはんが来ました。
流動食ってやつです。 お写真あればよかったんだけど この時は痛すぎて お写真なんて撮る余裕は どこにもなし。
まず携帯を取る行為が無理だった。
でね… 痛いからさ Cには とっても珍しいことなんだけど食欲なんて一切なし。
熱があろうが 身体がダルかろうが 今まで どんな時でも 食欲がなくなるってことは ほとんど無いC。
そんなCが食欲ないだなんて 自分で こりゃ えらいこっちゃって思いました。
この痛み いつまで続くんだろ? ちょっと不安になった。
ごはん食べたくないから 寝たまんまだったんだけど 看護師さんが来て とにかく起き上がってジュースだけでも飲んで~って言って またしても無理矢理 起こされる(涙)
1時間ぐらいして また看護師さんが来て ごはんを下げに来てくれて…
ジュースしか飲んでないCに 少しは食べなきゃ 点滴外せないよってさ。
いいよ。外せなくても。 痛いんだもん(心の声 笑)
その後 起き上がるのも嫌がるCに 看護士さんから まさかの『立ち上がってみましょうか?』
『はぁ? 無理無理。無理です。 そんなの痛くて無理です』って言ってんのに またもや強制的に 立たされた。
が… しかし…
どうにか こうにか ベッドの端に座り 立ち上がろうとしたとたんクラッときちゃって 終了。
『無理するの やめておきましょうね』って看護士さん。
だから さっきから無理だって言ってんじゃないの~。無理なんだってば。(これも 心の声よ 笑)
痛みで変な汗いっぱいかいた。
その後 あまりにも痛いので 痛いって言ったら座薬の痛み止めいれてくれた。
またその後 またウトウト。
なんでだか わかんないけど寝れるのよね。
次 目覚めたのは 旦那が来たから。
来なくていいよって言ってたのに。 結局 起き上がることもできず少し話して終わり。
(Cってば やっぱ旦那に愛されてるんだわ~ 笑 ってか 来てくれたら来なくていいって言うくせに きっと来なかったら 心配じゃないんだ!なんて奴だなんて文句言うんだろうけどね。そんなCを良く知ってるから旦那は来たんだろうと思うんだけど)
その後 またまた先生が来て 痛かったら自分で硬膜外麻酔をプッシュすればいいよ~って言いにきてくれた。
それから押す押す(笑)
けど 連続して押しても これって出ないようになってんだね。
そりゃそうか? 乱用しちゃいけないもんね。 けど そんなの知らなかったから押しまくってた。
痛みが治まらないじゃないのよ~なんて思いながらね。
そして晩ごはん。またしても流動食。
今度はね ごはん持ってきてくれた時に上半身を起こされて座らされた。
仕方ないから またジュースだけ飲んだ。
昼よりは 痛みはましになってたけど 食欲がまだ あんまりないってのと なんせ流動食。
全てのものがドロドロで食べる気もしなかった。
そうこうしてたら実父母が来て…
またしても 来なくていいのにって言って(親の心 子知らずです)
だってね この日はホントに痛くて痛くて ほっといてほしかったの。とにかく横になって じっとしてたかったのよ。
けどさ 来てくれたら 心配かけちゃいけないからさ ちょこっとは元気なフリしなきゃなんないじゃない。
それが苦痛でね。
きっと 大丈夫なフリは親にはバレてて だから すぐ帰った。
また明日来るからって言い残して(来なくていいのにな~)
CってはSLEで長期入院の経験あるからさ お見舞いって気分転換になるから来てくれると嬉しかったの。
けど今回は手術で痛みがあったでしょ?
痛みがある時って お見舞いは 来てほしくないなって思った。
これ本音。 痛い上に気を遣うのは嫌だもん。いくら親でも旦那でも 少しぐらい気はつかうもんね。
それから… 看護師さんが来て傷チェックと検温と血圧。
点滴のチェックもしてたな~。まだ熱がある。この時は38、1℃。
それからずっと横になってた。
テレビを見る気もしないし(それ以前にリモコンを取るのに体勢変えるのも嫌なほど痛い)本なんて読めそうにないし。
また目をつぶったら… 寝てた(笑)
いったい どんだけ寝れるんだって自分でも思った。
そしたら また看護師さんが来て
『消灯だから電気消しますね。何かあったらナースコールを押してくださいね。痛かったらコレを押して下さいね(硬膜外麻酔)』って言いに来て再度 点滴チェックして… アイスノンを新しいものに交換してくれました。
夜 痛くなったら嫌だから 激痛じゃなかったんだけど この日2度目の座薬をお願いしました。
これで 痛みは楽なはず。 痛くなったら押せばいい(硬膜外麻酔)って思って就寝。
が… しかし…
ここに来て まったく眠くなんないの。
そりゃ この日 ほとんど寝てたから 眠くならなかったんだろうけど 夜に眠れないって嫌ですよね。
Cにとって長い長い夜でした。
眠くないとね 同じ体勢でいるのが苦痛で。腰やら腕やらが痛くなってきて 寝返りうとうと思うんだけど これが痛くて。
すっごくお腹に響くんですよね。
何度も看護師さんが来て その度に『眠れない?』って聞かれて…
看護師さんが来てくれた時は寝返りうつの手伝ってもらいました。
今 何時だかも わかんない。 いつ朝になるんだろ?って思いながら いつ間にか寝てました。
この日の点滴の内容は 生理食塩液・ソルデム3A輸液・ラクテック注ソフトバック・ダルテパリンNa5000・フルマリンキット です。
いつ どのタイミングでってのは 覚えておりません。
後で貰った使用した楽品の説明書に これらのものが書いてありました。
硬膜外麻酔の中身はアナペインです。
手術翌日は とにかく痛い1日でした。
そして 昼間 寝すぎたせいか 夜眠れなく長い夜を過ごしました。
文字ばかり しかも長文にお付き合いくださいまして どうも ありがとです。
昨日 退院した日のこと書いたけど今日は また入院中のことを。
前後めちゃくちゃでスイマセン。
入院中のことは思い出しながらってのと使った薬剤を調べながらの作業になるから(資料を病院に貰いました)時間が かかっちゃて。
気合入れて更新しなきゃなんないので…
連続して更新できずスイマセン。
今日は手術の翌日のことを。
いったい 何時まで寝てたのか不明。
看護師さんが来て 何やら話しかけられたんだけど 眠くて眠くて。
その後 先生も来てたような…
けど これまた眠くて眠くて 何してたのか?何を言ってたのか不明。
また眠りについて 次はお水を飲みますか?って。
ちょっと起き上がってみましょうねってことで 起き上がろうとするんだけど この時 お腹に激痛が!
『痛い! 痛いよぉ~! 起き上がれません。起き上がりたくない!』
な~んて子供のだだっこのようなこと言って起き上がることを拒否。
『やっぱり お水いりません。喉かわいてません』←ホントは喉カラッカラだった(笑)
けど 痛いのと喉かわいてんのと どっちを取るかと言われたら… 痛いほうが勝っちゃって。
しかし… 起き上がらなきゃダメだと言われ(涙)
無理矢理 起き上がらせられる。
ベッドについてる 上半身が起き上がれるようになってる装置を動かされ強制的に起き上がらせられたんだけど…
『痛い 痛い 痛い 痛い 痛い …』
だって痛いんだもん。
そっとしておいてほしかった。口は乾いてたけど 水分は点滴から入ってきてるから身体的には飲まなくても大丈夫なこと わかってたしね。
けど そんな訳にもいかないんだって。
癒着防止で 術後は 早いうちに 動かなきゃなんないんだそう。
けどさ 前日の昼に切腹したとこなんだよ。腹切りしてんのに 切って24時間も経ってないのに もう動くの?
そう言えば 手術前に 予定表みたいなのをくれてて そこに書いてあったような…
翌日 ベッドの上に座ることから始めますってなこと。
けどさ こんなの拷問だわ(涙)
痛みって 人によって感じ方が違うから 同じ手術した人は どうなのか わかんないけど Cにとっては この日の この時の痛みはホント痛かった。 この先 一生 この痛みは感じたくないって感じ。
そうそう。 この痛みと 手術前日に飲まされたマグコロールのまずさは できれば2度と経験したくないです。
それからね せっかく起き上がったんだから お水 飲んだわよ。
でね 起き上がったら 次は また寝転ぶんだけど… これまた痛いの。
とにかく ちょっと動いただけで 痛くて 痛くて。
なんとかまた寝る姿勢に戻ったら 看護師さんが言うのよ。
『どんどん寝返りを うってくださいね。自分で無理ならナースコールで いつでも呼んで下さいね。お手伝いしますから』って。
『お水 ここに 置いておきますから またいつでも飲んで下さいね~』って。
『ありがとうございます』って口では言ったけどさ
心の中でね 言葉には出してないですよ。『誰が水なんて飲むか! こんな痛い思いしてまで水なんて飲みたくないわよ!』って毒づいてました(笑)
この時 かなり痛がるCに 看護師さんが硬膜外麻酔をプッシュ。
そしたら 背中(腰のあたり?)に何やら冷たいヒヤッとした感覚が。
術中から 繋がれたまんまの管があって 手元にプッシュするボタン?みたいなのがついてるの。
これが邪魔で 邪魔で。
その後 検温と血圧測定。 熱が38、2℃。 熱あるじゃない。
アイスノンもってきてくれました。
硬膜外麻酔とアイスノンのおかげでけど しばらくすると痛みがましになり 快適になって またウトウトしはじめた。
どのぐらいの時間が過ぎたのか不明だけど その後 先生が来て 傷をチェック。
これがね… ビックリするほど痛くて(涙) どうしてだかわかんないんだけど傷の場所じゃなく その横が痛くて痛くて。
原因不明。 傷があるのは ちょうど おへその下から20センチほどなんだけど 傷の無い場所が痛いだなんて。
先生もね 起き上がったり 寝返りをどんどんうってねって言うんだけど… 無理っす(汗)
この後 術後 初めての ごはんが来ました。
流動食ってやつです。 お写真あればよかったんだけど この時は痛すぎて お写真なんて撮る余裕は どこにもなし。
まず携帯を取る行為が無理だった。
でね… 痛いからさ Cには とっても珍しいことなんだけど食欲なんて一切なし。
熱があろうが 身体がダルかろうが 今まで どんな時でも 食欲がなくなるってことは ほとんど無いC。
そんなCが食欲ないだなんて 自分で こりゃ えらいこっちゃって思いました。
この痛み いつまで続くんだろ? ちょっと不安になった。
ごはん食べたくないから 寝たまんまだったんだけど 看護師さんが来て とにかく起き上がってジュースだけでも飲んで~って言って またしても無理矢理 起こされる(涙)
1時間ぐらいして また看護師さんが来て ごはんを下げに来てくれて…
ジュースしか飲んでないCに 少しは食べなきゃ 点滴外せないよってさ。
いいよ。外せなくても。 痛いんだもん(心の声 笑)
その後 起き上がるのも嫌がるCに 看護士さんから まさかの『立ち上がってみましょうか?』
『はぁ? 無理無理。無理です。 そんなの痛くて無理です』って言ってんのに またもや強制的に 立たされた。
が… しかし…
どうにか こうにか ベッドの端に座り 立ち上がろうとしたとたんクラッときちゃって 終了。
『無理するの やめておきましょうね』って看護士さん。
だから さっきから無理だって言ってんじゃないの~。無理なんだってば。(これも 心の声よ 笑)
痛みで変な汗いっぱいかいた。
その後 あまりにも痛いので 痛いって言ったら座薬の痛み止めいれてくれた。
またその後 またウトウト。
なんでだか わかんないけど寝れるのよね。
次 目覚めたのは 旦那が来たから。
来なくていいよって言ってたのに。 結局 起き上がることもできず少し話して終わり。
(Cってば やっぱ旦那に愛されてるんだわ~ 笑 ってか 来てくれたら来なくていいって言うくせに きっと来なかったら 心配じゃないんだ!なんて奴だなんて文句言うんだろうけどね。そんなCを良く知ってるから旦那は来たんだろうと思うんだけど)
その後 またまた先生が来て 痛かったら自分で硬膜外麻酔をプッシュすればいいよ~って言いにきてくれた。
それから押す押す(笑)
けど 連続して押しても これって出ないようになってんだね。
そりゃそうか? 乱用しちゃいけないもんね。 けど そんなの知らなかったから押しまくってた。
痛みが治まらないじゃないのよ~なんて思いながらね。
そして晩ごはん。またしても流動食。
今度はね ごはん持ってきてくれた時に上半身を起こされて座らされた。
仕方ないから またジュースだけ飲んだ。
昼よりは 痛みはましになってたけど 食欲がまだ あんまりないってのと なんせ流動食。
全てのものがドロドロで食べる気もしなかった。
そうこうしてたら実父母が来て…
またしても 来なくていいのにって言って(親の心 子知らずです)
だってね この日はホントに痛くて痛くて ほっといてほしかったの。とにかく横になって じっとしてたかったのよ。
けどさ 来てくれたら 心配かけちゃいけないからさ ちょこっとは元気なフリしなきゃなんないじゃない。
それが苦痛でね。
きっと 大丈夫なフリは親にはバレてて だから すぐ帰った。
また明日来るからって言い残して(来なくていいのにな~)
CってはSLEで長期入院の経験あるからさ お見舞いって気分転換になるから来てくれると嬉しかったの。
けど今回は手術で痛みがあったでしょ?
痛みがある時って お見舞いは 来てほしくないなって思った。
これ本音。 痛い上に気を遣うのは嫌だもん。いくら親でも旦那でも 少しぐらい気はつかうもんね。
それから… 看護師さんが来て傷チェックと検温と血圧。
点滴のチェックもしてたな~。まだ熱がある。この時は38、1℃。
それからずっと横になってた。
テレビを見る気もしないし(それ以前にリモコンを取るのに体勢変えるのも嫌なほど痛い)本なんて読めそうにないし。
また目をつぶったら… 寝てた(笑)
いったい どんだけ寝れるんだって自分でも思った。
そしたら また看護師さんが来て
『消灯だから電気消しますね。何かあったらナースコールを押してくださいね。痛かったらコレを押して下さいね(硬膜外麻酔)』って言いに来て再度 点滴チェックして… アイスノンを新しいものに交換してくれました。
夜 痛くなったら嫌だから 激痛じゃなかったんだけど この日2度目の座薬をお願いしました。
これで 痛みは楽なはず。 痛くなったら押せばいい(硬膜外麻酔)って思って就寝。
が… しかし…
ここに来て まったく眠くなんないの。
そりゃ この日 ほとんど寝てたから 眠くならなかったんだろうけど 夜に眠れないって嫌ですよね。
Cにとって長い長い夜でした。
眠くないとね 同じ体勢でいるのが苦痛で。腰やら腕やらが痛くなってきて 寝返りうとうと思うんだけど これが痛くて。
すっごくお腹に響くんですよね。
何度も看護師さんが来て その度に『眠れない?』って聞かれて…
看護師さんが来てくれた時は寝返りうつの手伝ってもらいました。
今 何時だかも わかんない。 いつ朝になるんだろ?って思いながら いつ間にか寝てました。
この日の点滴の内容は 生理食塩液・ソルデム3A輸液・ラクテック注ソフトバック・ダルテパリンNa5000・フルマリンキット です。
いつ どのタイミングでってのは 覚えておりません。
後で貰った使用した楽品の説明書に これらのものが書いてありました。
硬膜外麻酔の中身はアナペインです。
手術翌日は とにかく痛い1日でした。
そして 昼間 寝すぎたせいか 夜眠れなく長い夜を過ごしました。
文字ばかり しかも長文にお付き合いくださいまして どうも ありがとです。
2014年05月14日
入院2日目・手術当日(SLE持ち 子宮全摘手術)
おはようございます。
今日は妹が来てくれます。
ごはんの用意 持ってきてくれるんだって。
今日のごはんは何かな~?
なんて呑気な姉のCです。
今はね 妹でも甘えさせてもらいます。
ってか… うちの姉妹の場合 今までも ずっと 妹のが姉のようなんです。
妹のがね 根が しっかりしてる。
けど妹は お姉さまってCのことを慕ってくれてます。
ぷぷぷっ(爆) ウソウソ。
お姉さまなんてガラじゃないわよ~。 お姉ちゃんって呼ばれております。
さてさて。バカ話は おいといてぇ~。 今日は手術当日のこと。
っと その前に…
入院当日(手術前日)に書くの忘れてたことがありました。
最終の診察(内診)がありました。
その時 痛いのなんのって(涙)
筋腫の場所をグイッと押されて 思わず 腰を浮かせて 痛いって言っちゃった。
だって~ 痛いんだもん。
でね その後 看護師さんに剃毛されました。
前から見たら ほぼ つんつるてん。
少し切れちゃって(涙) オリーブオイルを塗られたんですが なぜオリーブオイルなのか?
オリーブオイルが肌に優しいのかな?
この2つのことを書き忘れておりました。
そして 手術当日の朝です。
この日は朝から検温と血圧はかって…
その後 便は出ましたか?って聞かれ 既に出てたんで 『出ました』って答え…
どのぐらい?って聞くんだけど どう応えればいいのやら?
なんとなくの量を手で示したC。 看護師さんに笑われちゃった(恥)
そしたら 浣腸しましょうね~って言われるままに 浣腸され…
その後は みなさまの想像におまかせします。
浣腸したら その後は み~んな同じ生理現象のはずですからね。
当日 絶食なんで朝ごはんは無し。
その代わりに… 点滴(涙)
前日の夜22時から絶飲絶食なので水分補給の点滴だって言ってました。
この点滴ですが しばらくの間(術後も)したまんまなんで 針を固定するんだけど…
Cの血管は 逃げやすく(一般的に刺す腕はね) 大抵 手の甲に。
今までも そうだったの。
何度も何度も刺され 結局ダメで 最後は手の甲に。
手の甲って痛いのよね。
痛いんだけど どうせ 手の甲になる可能性が高いんだったら その前の失敗される痛みは無いほうがいい。
だから今回は かくかく しかじかなんでって説明して 初めから手の甲にしてもらいました。
1発で完了! ホッと一安心。
Cの手術は12時から開始予定でした。
テレビ見るしか することないので(点滴に繋がれちゃったからウロウロも あんまり出来ないしね) ずっとテレビを見てました。
そしたら… 11時ごろ看護師さんが来て
『Cちゃんさ~ん。少し早くなりそうなんで ご家族の方に少し早めに来てもらえますか?』って。
えっ? 少し早くと言われても… もう1時間前なんで家は出てると思うけど 早くは無理かも(汗)
結果的に 11時半ごろ来てくれて 間に合ったんですがね。
実は この日 なんとっ! Cの手術のための付き添い人数 総勢6名(笑)
旦那 義母 実父母 叔母 妹。
妹の旦那さまは 送り迎えだけして チラリと顔を見せてくれて帰りました。
そしてホントは義父も用がなければ来るってことだったんですが 用があったんで…
ってか そんなに大勢の付き添い いらんでしょ~。
旦那だけいりゃいいんだけどさ みんな来てくれるって言うから 来てもらったんだけどね。
家族に愛されてる私なんです(笑)
そうそう。看護士さんが11時ごろ来た時に 準備してくれた弾性ストッキングを そろそろ履いておきましょうってことで 履きました。
白いタイツのような足先が開いてるやつです。
これは 入院する時に 自分の足のサイズ(くるぶし ふくらはぎ ふともものサイズを測って)のものを用意してくれます。
もっと 圧迫された感じなのかな?って思ってたけど そうでもなかったってのがCの感想です。
そして11時半すぎに 看護師さんがお迎えに来てくれて 病室を出発!
ゾロゾロと みんなで移動。(家族も一緒に)
徒歩ですよ。 Cも点滴ぶらさげて徒歩で自分の足で歩いて手術室へ行くの。
ベッドで運んでくれると思ってたよ(だってテレビだとさ手術ってストレッチャーに乗って行くじゃない)
手術室エリアに着き ここで 誰か1人だけ もう1つ中の部屋まで入れるの。
それ以外の人とは ここで お別れ。
誰か1人って言や やっぱ旦那でしょ? なのに旦那の奴ったら
えっ?俺?ってな顔してんのよ。
あんたじゃなきゃ誰が入るのよ!
戸籍の上で今の家族って あんたしかいないんですが(笑)
旦那はね 母(実母)が入るのかなって思ってたんだって。
まぁ Cと母は友達親子でして よく喧嘩もするんだけど仲はいいですしね。
一卵性親子とも言われております。
性格も顔も ソックリだと みんなに言われちゃってんですよね。
『ほな いってくるわな~』って言って 次の扉を開け
旦那はしばらく待機。
カーテンで仕切られてる所で 看護師さんに手伝ってもらいながら手術着にきがえて…
カーテン オープン!
じゃ~ん! 似合ってる?
な~んて軽口たたきポーズをとって旦那の前に登場!
旦那 呆れてました。
ってか この時 緊張してたのは旦那のほうだったようです。
いつもと全然違う顔してたもん。 旦那のが不安そうで病人みたいな顔してた。
『俺こんなん苦手やねん』って言うのよ。
こんなの得意な人も いないと思うんですが(笑)
で… 旦那にお願いしてたことを再度お願いして(摘出したものを写真に撮っておいてほしいとお願いしてました)←これは先生にも了解を得ておりました。
こんな 訳のわからない会話をして ここで旦那とも お別れ。
手術室へ入って…
自分で手術台に上がって まずは上向きに寝転んだ。 そしたら前日に説明にきてくれた麻酔科の先生が来て 名前を言って下さいって言われたと思う。 名前を言って そろそろはじめましょうか~って言って 麻酔するからって 手術着をベリベリっとはがされ(手術着って色んな所にマジックテープが付いてて 色んな所から外れるのね~ってこの時 感心したんだよね。
ってか… さすがに 手術室に入れば緊張してくるんだろなって思ってたのに 全く緊張しなかったんですよね。
どんな風にするんだろ?って興味のが先走っちゃって。
手術室内もね キョロキョロと見回しちゃった。
案外狭いのねとか そんなに色々と機械も無いのね~なんてね。
まぁ 比較的 Cの受けた手術は簡単な手術だからかもしれませんがね。
大きな手術だと機会もたくさんあるのかも?
手術着をベリベリはがされ 半はだか状態。
これが ちょっと恥ずかしいなって思った。
身体に何やら色々と取り付けられ(ペタッて張られた)←心電図のやつとかかな?
点滴に何やら液体を追加し(これが麻酔だったのか?)←イマイチ不明。
そして硬膜外麻酔の準備をするから横向きになって下さいって言われて横になり…
そして口元にパカッて麻酔? 酸素なのか?
そうこうしてたら それ以降の記憶は まったくございません。
次 意識が戻ったのは 『Cちゃんさ~ん。取り出した物を見ますか?』って言葉だったんで 『見ます』って言って 見せてもらった。
何やら お盆のようなものの上に乗せられたピンクの物体がありました。
『でかっ』って 思った。 想像してたより大きいものでした。
またその後 意識が飛び…
次 意識が戻った時は 廊下だったと思います。
家族みんながいました。
で… 色々 喋った気がする。
『でっかかったな~』←取ったものが
『ちゃんと写真撮ってくれた?』←撮ったものの
覚えてるのは『☆☆と☆☆と☆☆に無事終わったって連絡して☆☆には みんなに終わったって連絡してって言っといて』って そう言った。
☆☆ってのは友達の名前です。
みんな心配してくれてましたからね。
そして家族も何やら みんな色々と何か言ってたと思うんだけど あんまり覚えてません。
病室に戻り… その後 その日の記憶は全くありません。
途中 看護師さんが来たり 先生が来たり 何やらゴソゴソしてたような気はするんだけど 何してたのかとか まったく覚えておりません。
次 目覚めたのは翌朝でした。
手術時間は予定ど~りの3時間ほど。
途中 2時間少し過ぎたとこで先生が出てきて 取ったものを見せてくれて 無事 取れましたの報告。
家族2人までが別室で先生の話を聞いて見せてもらえるとのことだったんで 旦那と実母が入室したそうです。
そして癒着を心配してた腸と卵巣ですが 腸も傷つかず 卵巣も両方残せて 輸血もしなくて済んだとの報告があったそうです。
それから1時間ぐらいしてCが手術室から出てきたんだってさ。
その後にCに見せてくれたのかな?
それとも その前だったのかな?
ってか… Cも見せてもらったんだけど そこから1時間も何してたんだろ?
目が覚めるまで それだけかかったのか?
お腹パックリのまんまCが見た? そんな訳ないか(笑)
そんなこんなで 無事 手術当日は終わりましたとさ。
翌日の話は また別の日に~!!
今日は文字ばっかりでスイマセン。
取ったものの お写真 あるんですが かなりグロいので 載せるの やめておきますね。
そうそう。手術中 点滴でステロイドを入れました。
ステロイドカバーって言うそうです。
今日も訪問ありがとです。
今日は妹が来てくれます。
ごはんの用意 持ってきてくれるんだって。
今日のごはんは何かな~?
なんて呑気な姉のCです。
今はね 妹でも甘えさせてもらいます。
ってか… うちの姉妹の場合 今までも ずっと 妹のが姉のようなんです。
妹のがね 根が しっかりしてる。
けど妹は お姉さまってCのことを慕ってくれてます。
ぷぷぷっ(爆) ウソウソ。
お姉さまなんてガラじゃないわよ~。 お姉ちゃんって呼ばれております。
さてさて。バカ話は おいといてぇ~。 今日は手術当日のこと。
っと その前に…
入院当日(手術前日)に書くの忘れてたことがありました。
最終の診察(内診)がありました。
その時 痛いのなんのって(涙)
筋腫の場所をグイッと押されて 思わず 腰を浮かせて 痛いって言っちゃった。
だって~ 痛いんだもん。
でね その後 看護師さんに剃毛されました。
前から見たら ほぼ つんつるてん。
少し切れちゃって(涙) オリーブオイルを塗られたんですが なぜオリーブオイルなのか?
オリーブオイルが肌に優しいのかな?
この2つのことを書き忘れておりました。
そして 手術当日の朝です。
この日は朝から検温と血圧はかって…
その後 便は出ましたか?って聞かれ 既に出てたんで 『出ました』って答え…
どのぐらい?って聞くんだけど どう応えればいいのやら?
なんとなくの量を手で示したC。 看護師さんに笑われちゃった(恥)
そしたら 浣腸しましょうね~って言われるままに 浣腸され…
その後は みなさまの想像におまかせします。
浣腸したら その後は み~んな同じ生理現象のはずですからね。
当日 絶食なんで朝ごはんは無し。
その代わりに… 点滴(涙)
前日の夜22時から絶飲絶食なので水分補給の点滴だって言ってました。
この点滴ですが しばらくの間(術後も)したまんまなんで 針を固定するんだけど…
Cの血管は 逃げやすく(一般的に刺す腕はね) 大抵 手の甲に。
今までも そうだったの。
何度も何度も刺され 結局ダメで 最後は手の甲に。
手の甲って痛いのよね。
痛いんだけど どうせ 手の甲になる可能性が高いんだったら その前の失敗される痛みは無いほうがいい。
だから今回は かくかく しかじかなんでって説明して 初めから手の甲にしてもらいました。
1発で完了! ホッと一安心。
Cの手術は12時から開始予定でした。
テレビ見るしか することないので(点滴に繋がれちゃったからウロウロも あんまり出来ないしね) ずっとテレビを見てました。
そしたら… 11時ごろ看護師さんが来て
『Cちゃんさ~ん。少し早くなりそうなんで ご家族の方に少し早めに来てもらえますか?』って。
えっ? 少し早くと言われても… もう1時間前なんで家は出てると思うけど 早くは無理かも(汗)
結果的に 11時半ごろ来てくれて 間に合ったんですがね。
実は この日 なんとっ! Cの手術のための付き添い人数 総勢6名(笑)
旦那 義母 実父母 叔母 妹。
妹の旦那さまは 送り迎えだけして チラリと顔を見せてくれて帰りました。
そしてホントは義父も用がなければ来るってことだったんですが 用があったんで…
ってか そんなに大勢の付き添い いらんでしょ~。
旦那だけいりゃいいんだけどさ みんな来てくれるって言うから 来てもらったんだけどね。
家族に愛されてる私なんです(笑)
そうそう。看護士さんが11時ごろ来た時に 準備してくれた弾性ストッキングを そろそろ履いておきましょうってことで 履きました。
白いタイツのような足先が開いてるやつです。
これは 入院する時に 自分の足のサイズ(くるぶし ふくらはぎ ふともものサイズを測って)のものを用意してくれます。
もっと 圧迫された感じなのかな?って思ってたけど そうでもなかったってのがCの感想です。
そして11時半すぎに 看護師さんがお迎えに来てくれて 病室を出発!
ゾロゾロと みんなで移動。(家族も一緒に)
徒歩ですよ。 Cも点滴ぶらさげて徒歩で自分の足で歩いて手術室へ行くの。
ベッドで運んでくれると思ってたよ(だってテレビだとさ手術ってストレッチャーに乗って行くじゃない)
手術室エリアに着き ここで 誰か1人だけ もう1つ中の部屋まで入れるの。
それ以外の人とは ここで お別れ。
誰か1人って言や やっぱ旦那でしょ? なのに旦那の奴ったら
えっ?俺?ってな顔してんのよ。
あんたじゃなきゃ誰が入るのよ!
戸籍の上で今の家族って あんたしかいないんですが(笑)
旦那はね 母(実母)が入るのかなって思ってたんだって。
まぁ Cと母は友達親子でして よく喧嘩もするんだけど仲はいいですしね。
一卵性親子とも言われております。
性格も顔も ソックリだと みんなに言われちゃってんですよね。
『ほな いってくるわな~』って言って 次の扉を開け
旦那はしばらく待機。
カーテンで仕切られてる所で 看護師さんに手伝ってもらいながら手術着にきがえて…
カーテン オープン!
じゃ~ん! 似合ってる?
な~んて軽口たたきポーズをとって旦那の前に登場!
旦那 呆れてました。
ってか この時 緊張してたのは旦那のほうだったようです。
いつもと全然違う顔してたもん。 旦那のが不安そうで病人みたいな顔してた。
『俺こんなん苦手やねん』って言うのよ。
こんなの得意な人も いないと思うんですが(笑)
で… 旦那にお願いしてたことを再度お願いして(摘出したものを写真に撮っておいてほしいとお願いしてました)←これは先生にも了解を得ておりました。
こんな 訳のわからない会話をして ここで旦那とも お別れ。
手術室へ入って…
自分で手術台に上がって まずは上向きに寝転んだ。 そしたら前日に説明にきてくれた麻酔科の先生が来て 名前を言って下さいって言われたと思う。 名前を言って そろそろはじめましょうか~って言って 麻酔するからって 手術着をベリベリっとはがされ(手術着って色んな所にマジックテープが付いてて 色んな所から外れるのね~ってこの時 感心したんだよね。
ってか… さすがに 手術室に入れば緊張してくるんだろなって思ってたのに 全く緊張しなかったんですよね。
どんな風にするんだろ?って興味のが先走っちゃって。
手術室内もね キョロキョロと見回しちゃった。
案外狭いのねとか そんなに色々と機械も無いのね~なんてね。
まぁ 比較的 Cの受けた手術は簡単な手術だからかもしれませんがね。
大きな手術だと機会もたくさんあるのかも?
手術着をベリベリはがされ 半はだか状態。
これが ちょっと恥ずかしいなって思った。
身体に何やら色々と取り付けられ(ペタッて張られた)←心電図のやつとかかな?
点滴に何やら液体を追加し(これが麻酔だったのか?)←イマイチ不明。
そして硬膜外麻酔の準備をするから横向きになって下さいって言われて横になり…
そして口元にパカッて麻酔? 酸素なのか?
そうこうしてたら それ以降の記憶は まったくございません。
次 意識が戻ったのは 『Cちゃんさ~ん。取り出した物を見ますか?』って言葉だったんで 『見ます』って言って 見せてもらった。
何やら お盆のようなものの上に乗せられたピンクの物体がありました。
『でかっ』って 思った。 想像してたより大きいものでした。
またその後 意識が飛び…
次 意識が戻った時は 廊下だったと思います。
家族みんながいました。
で… 色々 喋った気がする。
『でっかかったな~』←取ったものが
『ちゃんと写真撮ってくれた?』←撮ったものの
覚えてるのは『☆☆と☆☆と☆☆に無事終わったって連絡して☆☆には みんなに終わったって連絡してって言っといて』って そう言った。
☆☆ってのは友達の名前です。
みんな心配してくれてましたからね。
そして家族も何やら みんな色々と何か言ってたと思うんだけど あんまり覚えてません。
病室に戻り… その後 その日の記憶は全くありません。
途中 看護師さんが来たり 先生が来たり 何やらゴソゴソしてたような気はするんだけど 何してたのかとか まったく覚えておりません。
次 目覚めたのは翌朝でした。
手術時間は予定ど~りの3時間ほど。
途中 2時間少し過ぎたとこで先生が出てきて 取ったものを見せてくれて 無事 取れましたの報告。
家族2人までが別室で先生の話を聞いて見せてもらえるとのことだったんで 旦那と実母が入室したそうです。
そして癒着を心配してた腸と卵巣ですが 腸も傷つかず 卵巣も両方残せて 輸血もしなくて済んだとの報告があったそうです。
それから1時間ぐらいしてCが手術室から出てきたんだってさ。
その後にCに見せてくれたのかな?
それとも その前だったのかな?
ってか… Cも見せてもらったんだけど そこから1時間も何してたんだろ?
目が覚めるまで それだけかかったのか?
お腹パックリのまんまCが見た? そんな訳ないか(笑)
そんなこんなで 無事 手術当日は終わりましたとさ。
翌日の話は また別の日に~!!
今日は文字ばっかりでスイマセン。
取ったものの お写真 あるんですが かなりグロいので 載せるの やめておきますね。
そうそう。手術中 点滴でステロイドを入れました。
ステロイドカバーって言うそうです。
今日も訪問ありがとです。
2014年05月12日
入院初日のこと(SLE持ち 子宮全摘手術)
おはようございます。
退院して1週間が経過しました。
GWが明け 旦那が仕事に行き その後 妹や友人が 入れ替わり立ち代り 我が家へ お手伝いに来てくれてます。
お掃除したり ごはん作ってくれたり。
義母も ごはん作ったのを持ってきてくれたりしておりまして ゆっくり暮らしております。
今日は叔母が来てくれる予定で 明日は 実母が来てくれる予定。
あさって(水曜)になると術後3週間になります。
ぼちぼち 自分で 色んなことを始めていこうかなって思ってます。
退院後1週間。 洗濯干して たたむのと ごはんの用意を少しだけ。
あと 洗い物を少しね。
色々と助けてくれる家族や友人のおかげで なんとか 生活できております。
もちろん旦那色々やってくれてます。
仕事してるほうが楽だとボヤいてますがね(笑)
しばらくの間 今回の入院のことを綴っていきます。
キャンプの話でも ワン仔ネタでもないので 興味の無い方は しばらくの間 スルー願います。
そして…
その時 その瞬間 自分が感じたことや思ったことを そのまんま書こうと思ってますので 読む人によっては 気分を害する言葉が出てくるかもしれません。 あくまで Cの気持ちなんで その辺りを ご理解いただけたらと思います。
もし 同じ病を持ち これから手術を受けるかも?って方で 『こんな時は どうだった?』とか 不安など… 何かCに 聞きたいことが ある方が いらっしゃいましたら 画面 右の下の方にある オーナーへメッセージってとこから入ってメッセージ下さいね。
わかる範囲で お答え(お返事)させて頂きますので。
コメント欄でも 構いませんよ! しかし デリケートな部分のことですので 書きにくいことが あるかも?
何も無いのが1番ですが…
生きてりゃ 色んなことが起きちゃうんですよね。
さてさて…
遡って 約3週間前のこと。
4月22日(火)
その日の朝は いつもど~り始まりました。
お弁当も いつもど~り作ったよ(って言っても この日は おにぎりだけでしたが)←旦那が持って帰ってきた弁当箱を洗うのが面倒だから弁当いらないって言ったから。いらないって言われたけど おにぎりだけ にぎったの。
旦那は 仕事。 グー&ソーは何も知らない。
朝1番で旦那がグー&ソーのお散歩へ行ってくれたけど しばらくCは この仔達とお散歩へ行けなくなるので ちょこっとだけ お散歩へ行きました。の~んびり歩きました。
その後 朝ごはんも しっかり食べて…
病院まで家から10~15分なんで 9時に実家の両親に家に迎えに来てもらって 出発!
この時 いつも出かけるみたく グーとソーとの別れは 声かけもせず顔も見ず出てきました。
(いつも こうしています。自然に出ていってます。 いってくるねなんて言っちゃうと 自分も一緒に行きたがって興奮しちゃうんで)
しばらく会えなくなるからさ 顔見て ギュ~ギュ~抱きしめてって したかったけど そこは我慢。
2週間の 1日中 留守番生活。 この仔達にとって初めてのことです。
何が心配って この仔達のことだけが心配でした。
C自身 手術なんて 寝てる間に済むんですもん。 それに今回の手術は やっと やっと こぎつけることができた手術です。
痛みからの解放の為の手術でしたから 早くしてほしかった。
術後の不安が まったく無い訳じゃなかったけど 基本 自分にことは 何か起きた時に考えりゃいいって思ってますので さほど自分のことは考えること無かったな~。
とにかく グーとソーが Cの留守中 できるだけストレスなく過ごせたらと そればっかり思ってました。
入院当日も 昼1時に 友人が来て シッコタイム&ふれあいタイムを してくれました。
この日は 旦那も帰りが早く 夕方に帰ってきたんで グーとソーにストレスは さほど 無かったはずです。
Cは 入院手続きを済ませ(9時半に受付するように言われてました) その後 病室へ案内され…
入院の荷物を棚に詰め込み 病院の案内などを看護師さんから聞いてました。
SLEで入院したのも この病院です。
入院する階が違うだけで ほとんど同じ。 こんなことに手馴れたくは無いですが…
Cにとっては手馴れたもんです。何が どこにあるかなんて 知ってます。
今まで この病院に 4ヶ月入院が2回と 2泊3日入院が2回。 4泊5日入院が1回に 1泊2日入院が3回。
こんなに入院してるんですよね。こんだけ入院してたら 何が どこにあるのかなんて わかるでしょ?
そして 手術の説明(主治医が執刀医でした)
この説明は本来 旦那が聞くべきだったんですが どうしても仕事の都合がつかず Cの両親に聞いてもらうことに。
ある程度のことは話てましたが 手術となると 一応ってか念のため ありと あらゆる可能性を言うでしょ?
怖いことね。
言わなきゃなんないんだろうけど あんまりビビらさないでほしいよね。
ここでCも始めて知ったんですが… 卵巣と腸に癒着してたのよね。
(術前検査で 色々と細かく調べて それで わかったことですが)
卵巣は1つは残せると思うけど 1つは取らなきゃいけなくなるかも?とのこと。
え~っ!聞いてないよ~! 卵巣は2つとも残すって先生 言ってたじゃない。
なんて言っても 仕方ない。 癒着してんだもんね。 はいはいって聞くしかないもんね。
Cは 数年 MRI画像や その他 自分の子宮内のことを見てきてますが 両親は この時が初めて。
数年前から現在の状態を比べながら画像を見て どんどん巨大化してく筋腫と どんどん厚くなってく内膜と腺筋症を見て ため息ついてました。 後は 持病のSLEのことなどもふまえて 先生が手術の説明をしてくれました。
そして…
今回の手術は 筋腫の巨大化と子宮腺筋症と内膜症の為 子宮全摘手術。
その中でも 1番 酷いのが Cは てっきり筋腫だと この時まで思ってたんですが 実は腺筋症の状態が悪かったんですよね。
あの激痛は腺筋症のせいだったようです(今さら何言ってんだ?)
まぁ 何が原因でもCにとっちゃ とにかく 痛みを失くしてほしいという思いだけ。
説明が一通り済み 何か聞きたいことはありますか?って。
とくに何も思いつかないので この後 手術の同意書を書き 説明は これにて終了。
病名は 子宮腺筋症 ってだけ書いてありました。
そして術式は 複式子宮全摘手術+(片側、両側)付属器摘出術 って書いてありました。
付属器ってのは卵巣のこと。
卵巣も取る場合は両側か片側かに○印。 Cの場合は 癒着が酷く 残せない場合は取るってことだったので 同意書には どちらにも○は付いてませんでした。
手術予定時間は3時間。
麻酔は全身麻酔と硬膜外麻酔の2種類の麻酔を使うとのことでした。
後は術中に輸血をする可能性があるので輸血の同意書も書きました。
先生からの お話が終わって病室へ。
ここで父と母には帰ってもらいました。
後は いても仕方ないんでね。
その後 薬剤師の方や 麻酔医の先生 看護師さんに 栄養士の方 それに… 忘れた(汗)
とにかく 次から次へ 色んな人が来て 説明やら 質疑応答が続きました。
そうそう。 入院当日の お昼から 病院の食事が用意されてました。
今回の入院は SLEとは関係ないので 普通食だと思ってたのに… まさかの腎臓病食(涙)


こんなメニューでした。
あれれ… 久しぶりに お写真の加工したら なんか辺になっちゃった(汗)
名前を消そうと思ったのに こんなになっちゃいました。ごめんなさい。 やり方 忘れたんで これで勘弁願います。
現在 有難いことに 普段の食事に 制限は かかってません。
一時期 たんぱく制限と塩分制限が かかってて 食事が大変な時期がありましたが なんとかお薬で腎臓が正常に働いてくれておりまして 数値的にも問題なし。 なので普段は普通の食事をしております。
あぁ それなのに…
Cの1番の楽しみは食事なんです。
とにかく食べることがCにとっては1番重要なこと。
手術だってのに呑気に飯のことかって?
Cにとっては かなり重要なんですがね(笑)
なんやら かんやらしてたら もう夕食の時間です。

腎臓病食で唯一 良いのは…
たんぱく制限がかかったメニューなんで どうしてもカロリーが低くなっちゃうんですよね。
カロリー補給の為に おやつが付くんです。
この日は チョコレートが付いてました。
夕食後 19時半ごろからね

このマグコロール(クエン酸マグネシウム)を飲まなきゃなんないんです。
これ 大腸検査や腹部の手術したことある人は飲んだ経験があると思います。
これがね なかなか飲めないの(涙)
どんな味って言われても 薬臭くって ほんのり酸っぱいような 粉っぽいような…
ポカリとかアクエリアスとかを薄めたような味だって看護師さんは言ってたんだけど 全然違うじゃないのよ。
ゆっくり時間をかけて飲むようにって言われたの。
いっきに飲んじゃいけないって。
あのですね… こんなの いっきに飲めないよ。まずすぎて喉に通らないの。
あまりのまずさに 喉に通らない。あげくのはてにウプッてこみ上げてきちゃって(涙)
どうしても 飲めないので 看護士さんに相談。
何か別のものを飲みながら 飲んでもいいか?ってね。 そしたら いいですよ~ってことだったんで 慌てて売店へ行って 甘ったる~い この まずさが消えるような飲み物って思って フルーツオレを購入。
久しぶりに こんなの飲みました。
結局 1時間半ほど かかって 一口飲んではフルーツオレを ゴックンゴックン。 それの繰り返しで やっとこさ 飲み終わった。
飲み終わった時には お腹の中は ちゃっぷちゃぷ。
人それぞれに味覚も違うし 感じ方も違うんだろうけど このマグコロールってやつを飲む行為は Cにとっては 術後の痛みと同じぐらい辛かった。 もう2度と飲みたくないです。
このマグコールってのはね 塩類下剤で 腸管内に水分を貯留することにより 瀉下作用を発現し腸管内洗浄効果を示すんだそうです。
この まずい まずい マグコロールを飲み 10時前に看護士さんが来て ちゃんと飲めたかチェック。
体温はかって 血圧はかって 就寝前に また下剤を飲まされ

やっとこさ 入院初日は終了。
翌朝 カンチョウしますよ~って言われて おやすみなさ~い。
下剤2種類も飲んだのに まだ翌朝 カンチョウされちゃうの?
はぁ~。 手術するまでも 色々 することあるんですね。
その後 23時までテレビ見て その後 目をつぶったら 朝でした(笑)
きっとね いくらなんでも 手術前日は眠れないだろなって思ってて 看護師さんに眠剤くださいって言おうと思ってたの。
けど その必要は ありませんでした。
まずいマグコロール飲むのに かなり体力使って疲れたのかな?
な~んて そんな訳ないよね。
自分でも なんでだか わかんないんですが ホント あっという間に寝てました。
あのね…
手術日が決まってから 手術するまでに1ヵ月半の期間がありました。
そして 最終的に手術ができるって決まったのが手術の1週間前。(SLEの通院で検査後)
さすがに手術前はドキドキするだろな~だとか入院前日は眠れないんじゃないか?とか 想像してたんですが…
なぜだか まったくもって いつもど~り(笑)
入院前日も 速攻 寝れたし手術前日も朝まで爆睡(笑)
自分でも どんな神経してんだか?って思っちゃいました。
こうして入院初日は終了しましたとさ。
今日も訪問ありがとです。
退院して1週間が経過しました。
GWが明け 旦那が仕事に行き その後 妹や友人が 入れ替わり立ち代り 我が家へ お手伝いに来てくれてます。
お掃除したり ごはん作ってくれたり。
義母も ごはん作ったのを持ってきてくれたりしておりまして ゆっくり暮らしております。
今日は叔母が来てくれる予定で 明日は 実母が来てくれる予定。
あさって(水曜)になると術後3週間になります。
ぼちぼち 自分で 色んなことを始めていこうかなって思ってます。
退院後1週間。 洗濯干して たたむのと ごはんの用意を少しだけ。
あと 洗い物を少しね。
色々と助けてくれる家族や友人のおかげで なんとか 生活できております。
もちろん旦那色々やってくれてます。
仕事してるほうが楽だとボヤいてますがね(笑)
しばらくの間 今回の入院のことを綴っていきます。
キャンプの話でも ワン仔ネタでもないので 興味の無い方は しばらくの間 スルー願います。
そして…
その時 その瞬間 自分が感じたことや思ったことを そのまんま書こうと思ってますので 読む人によっては 気分を害する言葉が出てくるかもしれません。 あくまで Cの気持ちなんで その辺りを ご理解いただけたらと思います。
もし 同じ病を持ち これから手術を受けるかも?って方で 『こんな時は どうだった?』とか 不安など… 何かCに 聞きたいことが ある方が いらっしゃいましたら 画面 右の下の方にある オーナーへメッセージってとこから入ってメッセージ下さいね。
わかる範囲で お答え(お返事)させて頂きますので。
コメント欄でも 構いませんよ! しかし デリケートな部分のことですので 書きにくいことが あるかも?
何も無いのが1番ですが…
生きてりゃ 色んなことが起きちゃうんですよね。
さてさて…
遡って 約3週間前のこと。
4月22日(火)
その日の朝は いつもど~り始まりました。
お弁当も いつもど~り作ったよ(って言っても この日は おにぎりだけでしたが)←旦那が持って帰ってきた弁当箱を洗うのが面倒だから弁当いらないって言ったから。いらないって言われたけど おにぎりだけ にぎったの。
旦那は 仕事。 グー&ソーは何も知らない。
朝1番で旦那がグー&ソーのお散歩へ行ってくれたけど しばらくCは この仔達とお散歩へ行けなくなるので ちょこっとだけ お散歩へ行きました。の~んびり歩きました。
その後 朝ごはんも しっかり食べて…
病院まで家から10~15分なんで 9時に実家の両親に家に迎えに来てもらって 出発!
この時 いつも出かけるみたく グーとソーとの別れは 声かけもせず顔も見ず出てきました。
(いつも こうしています。自然に出ていってます。 いってくるねなんて言っちゃうと 自分も一緒に行きたがって興奮しちゃうんで)
しばらく会えなくなるからさ 顔見て ギュ~ギュ~抱きしめてって したかったけど そこは我慢。
2週間の 1日中 留守番生活。 この仔達にとって初めてのことです。
何が心配って この仔達のことだけが心配でした。
C自身 手術なんて 寝てる間に済むんですもん。 それに今回の手術は やっと やっと こぎつけることができた手術です。
痛みからの解放の為の手術でしたから 早くしてほしかった。
術後の不安が まったく無い訳じゃなかったけど 基本 自分にことは 何か起きた時に考えりゃいいって思ってますので さほど自分のことは考えること無かったな~。
とにかく グーとソーが Cの留守中 できるだけストレスなく過ごせたらと そればっかり思ってました。
入院当日も 昼1時に 友人が来て シッコタイム&ふれあいタイムを してくれました。
この日は 旦那も帰りが早く 夕方に帰ってきたんで グーとソーにストレスは さほど 無かったはずです。
Cは 入院手続きを済ませ(9時半に受付するように言われてました) その後 病室へ案内され…
入院の荷物を棚に詰め込み 病院の案内などを看護師さんから聞いてました。
SLEで入院したのも この病院です。
入院する階が違うだけで ほとんど同じ。 こんなことに手馴れたくは無いですが…
Cにとっては手馴れたもんです。何が どこにあるかなんて 知ってます。
今まで この病院に 4ヶ月入院が2回と 2泊3日入院が2回。 4泊5日入院が1回に 1泊2日入院が3回。
こんなに入院してるんですよね。こんだけ入院してたら 何が どこにあるのかなんて わかるでしょ?
そして 手術の説明(主治医が執刀医でした)
この説明は本来 旦那が聞くべきだったんですが どうしても仕事の都合がつかず Cの両親に聞いてもらうことに。
ある程度のことは話てましたが 手術となると 一応ってか念のため ありと あらゆる可能性を言うでしょ?
怖いことね。
言わなきゃなんないんだろうけど あんまりビビらさないでほしいよね。
ここでCも始めて知ったんですが… 卵巣と腸に癒着してたのよね。
(術前検査で 色々と細かく調べて それで わかったことですが)
卵巣は1つは残せると思うけど 1つは取らなきゃいけなくなるかも?とのこと。
え~っ!聞いてないよ~! 卵巣は2つとも残すって先生 言ってたじゃない。
なんて言っても 仕方ない。 癒着してんだもんね。 はいはいって聞くしかないもんね。
Cは 数年 MRI画像や その他 自分の子宮内のことを見てきてますが 両親は この時が初めて。
数年前から現在の状態を比べながら画像を見て どんどん巨大化してく筋腫と どんどん厚くなってく内膜と腺筋症を見て ため息ついてました。 後は 持病のSLEのことなどもふまえて 先生が手術の説明をしてくれました。
そして…
今回の手術は 筋腫の巨大化と子宮腺筋症と内膜症の為 子宮全摘手術。
その中でも 1番 酷いのが Cは てっきり筋腫だと この時まで思ってたんですが 実は腺筋症の状態が悪かったんですよね。
あの激痛は腺筋症のせいだったようです(今さら何言ってんだ?)
まぁ 何が原因でもCにとっちゃ とにかく 痛みを失くしてほしいという思いだけ。
説明が一通り済み 何か聞きたいことはありますか?って。
とくに何も思いつかないので この後 手術の同意書を書き 説明は これにて終了。
病名は 子宮腺筋症 ってだけ書いてありました。
そして術式は 複式子宮全摘手術+(片側、両側)付属器摘出術 って書いてありました。
付属器ってのは卵巣のこと。
卵巣も取る場合は両側か片側かに○印。 Cの場合は 癒着が酷く 残せない場合は取るってことだったので 同意書には どちらにも○は付いてませんでした。
手術予定時間は3時間。
麻酔は全身麻酔と硬膜外麻酔の2種類の麻酔を使うとのことでした。
後は術中に輸血をする可能性があるので輸血の同意書も書きました。
先生からの お話が終わって病室へ。
ここで父と母には帰ってもらいました。
後は いても仕方ないんでね。
その後 薬剤師の方や 麻酔医の先生 看護師さんに 栄養士の方 それに… 忘れた(汗)
とにかく 次から次へ 色んな人が来て 説明やら 質疑応答が続きました。
そうそう。 入院当日の お昼から 病院の食事が用意されてました。
今回の入院は SLEとは関係ないので 普通食だと思ってたのに… まさかの腎臓病食(涙)


こんなメニューでした。
あれれ… 久しぶりに お写真の加工したら なんか辺になっちゃった(汗)
名前を消そうと思ったのに こんなになっちゃいました。ごめんなさい。 やり方 忘れたんで これで勘弁願います。
現在 有難いことに 普段の食事に 制限は かかってません。
一時期 たんぱく制限と塩分制限が かかってて 食事が大変な時期がありましたが なんとかお薬で腎臓が正常に働いてくれておりまして 数値的にも問題なし。 なので普段は普通の食事をしております。
あぁ それなのに…
Cの1番の楽しみは食事なんです。
とにかく食べることがCにとっては1番重要なこと。
手術だってのに呑気に飯のことかって?
Cにとっては かなり重要なんですがね(笑)
なんやら かんやらしてたら もう夕食の時間です。

腎臓病食で唯一 良いのは…
たんぱく制限がかかったメニューなんで どうしてもカロリーが低くなっちゃうんですよね。
カロリー補給の為に おやつが付くんです。
この日は チョコレートが付いてました。
夕食後 19時半ごろからね

このマグコロール(クエン酸マグネシウム)を飲まなきゃなんないんです。
これ 大腸検査や腹部の手術したことある人は飲んだ経験があると思います。
これがね なかなか飲めないの(涙)
どんな味って言われても 薬臭くって ほんのり酸っぱいような 粉っぽいような…
ポカリとかアクエリアスとかを薄めたような味だって看護師さんは言ってたんだけど 全然違うじゃないのよ。
ゆっくり時間をかけて飲むようにって言われたの。
いっきに飲んじゃいけないって。
あのですね… こんなの いっきに飲めないよ。まずすぎて喉に通らないの。
あまりのまずさに 喉に通らない。あげくのはてにウプッてこみ上げてきちゃって(涙)
どうしても 飲めないので 看護士さんに相談。
何か別のものを飲みながら 飲んでもいいか?ってね。 そしたら いいですよ~ってことだったんで 慌てて売店へ行って 甘ったる~い この まずさが消えるような飲み物って思って フルーツオレを購入。
久しぶりに こんなの飲みました。
結局 1時間半ほど かかって 一口飲んではフルーツオレを ゴックンゴックン。 それの繰り返しで やっとこさ 飲み終わった。
飲み終わった時には お腹の中は ちゃっぷちゃぷ。
人それぞれに味覚も違うし 感じ方も違うんだろうけど このマグコロールってやつを飲む行為は Cにとっては 術後の痛みと同じぐらい辛かった。 もう2度と飲みたくないです。
このマグコールってのはね 塩類下剤で 腸管内に水分を貯留することにより 瀉下作用を発現し腸管内洗浄効果を示すんだそうです。
この まずい まずい マグコロールを飲み 10時前に看護士さんが来て ちゃんと飲めたかチェック。
体温はかって 血圧はかって 就寝前に また下剤を飲まされ

やっとこさ 入院初日は終了。
翌朝 カンチョウしますよ~って言われて おやすみなさ~い。
下剤2種類も飲んだのに まだ翌朝 カンチョウされちゃうの?
はぁ~。 手術するまでも 色々 することあるんですね。
その後 23時までテレビ見て その後 目をつぶったら 朝でした(笑)
きっとね いくらなんでも 手術前日は眠れないだろなって思ってて 看護師さんに眠剤くださいって言おうと思ってたの。
けど その必要は ありませんでした。
まずいマグコロール飲むのに かなり体力使って疲れたのかな?
な~んて そんな訳ないよね。
自分でも なんでだか わかんないんですが ホント あっという間に寝てました。
あのね…
手術日が決まってから 手術するまでに1ヵ月半の期間がありました。
そして 最終的に手術ができるって決まったのが手術の1週間前。(SLEの通院で検査後)
さすがに手術前はドキドキするだろな~だとか入院前日は眠れないんじゃないか?とか 想像してたんですが…
なぜだか まったくもって いつもど~り(笑)
入院前日も 速攻 寝れたし手術前日も朝まで爆睡(笑)
自分でも どんな神経してんだか?って思っちゃいました。
こうして入院初日は終了しましたとさ。
今日も訪問ありがとです。